あなたがたはみな、信仰により、イエスキリストにあって、神の子どもです。
ガラテヤ人への手紙 3章26節
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お誕生日聖句というのがある。
誕生月/日を、聖書の章/節に見立てて、自分の聖句として大切にする。
3月26日生まれの私なら、聖書を開いて3章26節で自分にピタッとくる箇所を探す。
たとえば、ルカの福音書3章26節を見てみると「マハテ、マタテヤ、シメイ、ヨセク、ヨダ」とある。これはイエスの系図の一部分であり、ここだけ取り出しても何のことだか分からないし、ピタッとは来ない。
なので、他の3章26節を探す。
そうして見つけたのが、この箇所。ガラテヤ3:26である。この聖句に出会ったとき、あぁ3月26日生まれでよかったなと思えた。
英語で読むとin、of、throughの3つの前置詞が目に留まる。
・in Jesus
・of God
・through faith
これらを理解することで、この聖句に込められたパウロの思いが伝わってくる。
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日本で生まれ育った私にとって、キリスト教は異国の宗教であり、自分には全く縁のないものと思っていた。
しかし、聖書を読み、神の存在を知り、キリストが自分の罪のために十字架で死なれたことを覚え、罪の贖いと復活、そして永遠のいのちを信じると、180度生き方が変えられた。
キリストの内で(in)、信仰を通して(through)、神の(of)所有物となったことを確信するようになった。
29節まで続けて読んでみよう。
27. 洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。
28. そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。
29. あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。
これを語ったパウロは、もとはバリバリの律法主義者、つまり神の救いはユダヤ人のみにあると信じて疑わなかった男である。
そのパウロが、復活のキリストに出会い、生き方を180度変えられ、ユダヤ人以外の異邦人の伝道に生涯を捧げることになった。
異邦人に対して、キリストを信じた者はユダヤ人と同じアブラハムの子孫であり、相続人であると断言した。これはとんでもない発言であり、私たちにとっては驚くべき祝福である。
*
さて、私が通う教会で、先週のクリスマスに19才の女性が洗礼を受けた。
そのときの彼女の証しが心に響いた。今日の箇所に通ずる、救いについての普遍的な教えとして、ローマ10章を取り上げてたいた。
周りにクリスチャンが1人もおらず、17才ではじめて聖書に触れるという環境にもかかわらず、この箇所に心を留める彼女の信仰の確かさに感動を覚えた。
ふたたび引用になるが、ローマ10章10-13節を読んでみよう。パウロが上のガラテヤと同じことを述べていることが分かるはずだ。
10. なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。
11. 聖書は「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。
12. ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。
13. なぜなら「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。
神の救いに差別はない。救いはキリストを信じる信仰と、神からの一方的な恵みによってのみ得られる。
何かをしなければ得られないという、条件付きの救いではない。
失望は希望に変わる。
2020年が希望に満ちた1年でありますように。