恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。
使徒の働き 14:17
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脱サラして農家になった弟がいる。
今日の聖句を読んで、彼の顔が浮かんだ。
農業を営むものにとって、天気は最大の関心事であろう。明日は晴れるのか曇るのか、気温は高くなるのか冷え込むのか、風はどうか、雨はどうかと、気候条件をいつも気にしている。
大雨や台風、大雪などの自然災害で、育ててきた作物が台無しになる。ビニールハウスも甚大な被害を受ける。
人が一生懸命努力をしても、自然の前では無力であることを知る。
一方、収穫の喜びは何ものにも代えがたい。種を蒔き、水を与え、大切に大切に育ててきた作物が収穫のときを迎える。私は想像しかできないが、きっと苦労が吹き飛ぶような嬉しさを味わうだろう。
また、消費者から美味しいと感謝されれば、それもまた明日への活力に繋がるだろう。
弟が、育てた野菜のことを僕の子たちと言うのも頷ける。
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聖書の一番はじめ、創世記1章1節には「はじめに神が天と地を創造した」とある。
これが私たちの世界のスタート地点である。すべてを創られた、デザインされた神こそ、唯一の創造主である。
地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。まことに主は、海の地の基を据え、また、もろもろの川の上に、それを築き上げられた。
(詩篇 24:1-2)
あなたは、地を訪れ、水を注ぎ、これを大いに豊かにされます。神の川は水で満ちています。あなたは、こうして地の下ごしらえをし、彼らの穀物を作ってくださいます。
地のあぜ溝を水で満たし、その畝をならし、夕立で地を柔らかにし、その成長を祝福されます。
(詩篇 65:9-10)
この世界は神が創られたもの、神の所有物。私たちもまた神の作品である。
だから、農家が作物をわが子と呼ぶように、神も被造物である私たちを神の子と呼ぶのである。
私たちはそれに、父なる神よ! と呼応する。
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天気に関しては、イエスの嘆きが聖書に記されている。皮肉が効いていてなかなか面白い。
あなたがたは、西に雲が起こるのを見るとすぐに「にわか雨が来るぞ」と言い、事実そのとおりになります。
また南風が吹きだすと「暑い日になるぞ」と言い、事実そのとおりになります。
あなたがたは地や空の現象を見分けることを知りながら、どうして今のこの時代を見分けることができないのですか。
また、なぜ自分から進んで、何が正しいかを判断しないのですか。
(ルカ 12:54-57)
天気を見分ける力を持っているのに、どうして時を見分けようとしないのか。どうして何が正しいのか見分けようとしないのか。イエスはぼやくのである。
天地を支配し、私たちの心を満たされる神に感謝し、神の御心を見分けることができるよう祈り求めたい。
冬の不作を嘆いている弟も励ましてあげよう。