聖書と歩む営業マンのblog

営業は大変な仕事だ。しかし聖書を読んで、売ることよりも仕えること、貰うよりも与えることを学ぶと、心が晴れる。

ホサナ

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ホサナ。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。


マルコ 11:9

 

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今年のイースターは4月12日である。


クリスマスが毎年決まった日であるのに対し、イースターは毎年変わる。なぜならイースターは「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」と定義されているからである。


これに当てはめれば、春分の日は3月20日で、その後に満月になるのは4月8日。で、その次の日曜日が4月12日、ということだ。


そんなウンチクはいいとして、恒例のイベント、イースターエッグハントが今年は開催できるか…これが心配である。


先週の礼拝は、賛美の曲数が減らされ、礼拝時間そのものが短縮された。教会が開催しているさまざまな予定がほぼ全てキャンセルになった。


私が世話人をしている子育てファミリーの集まりも今月は昼食会を予定していたが取り止めにした。


そして、いよいよ来週からは教会での礼拝そのものがなくなってしまった。教会員はそれぞれ家庭で礼拝を守るようにと、牧師から連絡が来た。


子どもたちの、週に一度の教会での楽しみがなくなって寂しい。この状況が長引けば、イースターも集まってお祝いできなくなる。



話が脱線してしまったが、今日取り上げたホサナの聖句は、イエスが復活する1週間前の日曜日の出来事を覚えるときに、必ず読まれる箇所である。


エスが子ロバに乗ってエルサレムに入城する。そのとき群衆はナツメヤシの枝を振って、ホサナ!と叫ぶ。


ホサナとは「いま、救ってください」の意味で、群衆はイエスが救世主メシアであることを認めた、ということである。


彼らは旧約の預言をよく知っていたからだ。


「娘シオンよ、大いに喜べ。娘エルサレムよ、喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来る。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに」(ゼカリヤ9:9)


しかし、この群衆はわずか数日後、イエスに対して「殺せ」「十字架につけろ」と叫ぶのだ。


エスは期待していたメシアではない。王としての権威も強さもない。弱々しく惨めで、栄光のかけらもない。もはやホサナと叫ぶ者はいなくなった。


エスは二度来られることを彼らは知らなかった。1回目にこの世に来られたときは苦難の僕として。将来再び来られるときには栄光の王として。


1回目と2回目の狭間に、私たちは生きている。



エスエルサレムに入城されたとき、群衆はホサナと叫んで、王としてのイエスを受け入れた。


同じように、私たちも心にイエスを受け入れるときはホサナと叫ぶ。けれど、私たちは、イエスが再び来られると確信しているから、十字架につけろとは言わない。


いや、しかし、だからといって、群衆を責めることはできない。あの時代、あの場所にいたら、私だって同じようにホサナと叫んだし、十字架につけろと叫んだはずだ。


それでも、イエスが十字架につけられたのは、私たちの罪を贖うためであることを知っているから、もはや十字架につけろと言う必要はない。


罪贖われた私たちは、イエスが再び来られるときまで、ホサナどうぞ私とともにいてくださいと叫ぶのだ。


ホサナ、高らかに。

 


★ホザナを賛美しよう!
https://youtu.be/YCCHeY_sQ3s