また、私の神は、キリスト・イエスの栄光のうちにあるご自分の豊かさにしたがって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。
ピリピ人への手紙 4:19
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感謝と喜び。
この2つは対になっている。感謝の気持ちが喜びに繋がるし、喜びは感謝に変えられる。
今日のみことばを読むと、パウロの感謝と喜びの気持ちが滲み出てくるのが分かる。
この手紙は、パウロがローマの獄中で書いたものである。にもかかわらず、この溢れる感謝と喜び。
逆境の中にあるとき、苦難に心が折れそうなとき、このパウロからの励ましの何と心強いことか。
たった4章で構成されているピリピ人への手紙。その冒頭の1章でパウロ自身がこう述べている。
すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい(1:14)
素直でいよう、謙遜に生きよう、そう思わされる。
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手紙の結びである最後の4章は、心に留めたい聖句のオンパレードだ。いくつか抜粋すると…
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。(4:4)
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(4:6-7)
私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。(4:13)
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ありがとうを韓国語では、カムサハムニダというが、このカムサは感謝のことと聞いたことがある。
感謝の気持ちをひと言で表すなら、ありがとうだ。だから、ありがとうと感謝しますを同義で使うのはとても自然なことだ。
何かをいただいたときや施しを受けて自分に益があったとき、私たちはその相手に向かって感謝する。ありがとうと伝える。
さらに私たちは、受益できたのは神の働きがあったからであると確信し、神にも感謝する。いや、そもそも感謝の種類が違うかもしれない。
行為そのものではなく、神の働きは目に見えない。見えないけど神に感謝する。もっと平たく言えば、神さまありがとうと言う。喜びの気持ちを素直に神さまに伝えるのだ。
感謝も喜びも神からのもの。
この思いを持つことで、傲慢さや妬みといったネガティブな感情から解放される。
必要を満たすのは神である。