聖書と歩む営業マンのblog

営業は大変な仕事だ。しかし聖書を読んで、売ることよりも仕えること、貰うよりも与えることを学ぶと、心が晴れる。

苦難の中で

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私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。


コリント人への手紙 第二 4:8


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4月8日だから4章8節。


狙ってるみたいだが、まったく偶然だ。


今週は受難週。キリストの従順と十字架の死、埋葬、そして復活に思いを寄せるときである。


緊急事態宣言により、不要不急の外出を控えているため、自宅で過ごす時間が多くなる。不謹慎な物言いになるが、おかげで普段以上に読書をしたり、聖書のみことばに触れたりすることができる。


心はざわついており、憂いを常に纏っている感じではあるものの、静思のときを保つよう努めている。


静まりたいときは、詩篇を読むのが一番いい。自分の内面に、みことばがじんわり染み込んでくる感じ。


神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。それゆえ、われらは恐れない。たとえ地が変わり、山々が揺れ海のただ中に移ろうとも。たとえその水が立ち騒ぎ、泡だっても、その水かさが増し山々が揺れ動いても。セラ(詩篇46:1-3)



かつて経験したことのないウイルスの脅威に晒され、企業はその対応に四苦八苦している。


私の会社でも、特別かつ煩雑、そして緊急の顧客対応が増加しているが、社員が自宅勤務になり人手が足りないという事態に陥っている。


私のような営業職は、外回りができず、電話やメールを使って顧客とやりとりをするしかない。


しかし、一歩引いて考えてみれば、上述したように、こんなときだからこそ、自らの仕事を見直したりできるし、営業に関する書籍を読むなどしてスキルアップを図ることができる。


会社にとっても、これまで踏み込めなったデジタル面の強化ができたり、顧客の切実なニーズを捕らえるキッカケになったりもする。


悪いことばかりではないのだ。



聖書にもウイルス(疫病)の記述がある。


例えば、創世記には、アブラム(後のアブラハム)を守るためにエジプトを疫病で打ったという記述がある。民数記には、不平不満を述べる民を神が疫病で打つと警告している。


しかし、主はアブラムの妻サライのことで、ファラオとその宮廷を大きなわざわい(疫病)で打たれた。(創世記 12:17)


わたしは彼らを疫病で打ち、ゆずりの地を剝奪する。しかし、わたしはあなたを彼らよりも強く大いなる国民にする。(民数記 14:12)


新約聖書では、イエスが終末時代を語る場面。


大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい光景や天からの大きなしるしが現れます。(ルカの福音書 21:11)


現在の状況下でこれらの記述を読むと、もはやこの世の終わりかと、暗澹たる思いになりがちである。


しかし、そこに止まってしまうのではなく、あくまでも未来志向でいたい。


パウロは激励する。


私たちは苦しめられるが、困窮しない。私たちは途方に暮れるが、行き詰まらない。


そうだ。裁きがあって救いがある。絶望があって希望となる。死があって永遠のいのちを得る。


目線は、前だ。

 

 

 


Q. 新型コロナウイルスの広がりをどう理解すべきですか?
http://seishonyumon.com/movie/6342/