聖書と歩む営業マンのblog

営業は大変な仕事だ。しかし聖書を読んで、売ることよりも仕えること、貰うよりも与えることを学ぶと、心が晴れる。

山を見上げて

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私は山に向かって目を上げる。
私の助けはどこから来るのか。


私の助けは主から来る。
天地を造られたお方から。


詩篇121:1-2


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高校生のときのことだ。


帰り道を自転車で漕いでいると、特に冬の季節に酷かったのだが、激しい向かい風に悩まされることがよくあった。


この風のことを地元では「伊吹おろし」と言って、平野にも関わらず、ときに大雪をもたらした。


日本海側の冬の季節風が、若狭湾から琵琶湖地域で降雪や曇天をもたらし、関ヶ原を越える頃には乾いた冷たい風となって濃尾平野に吹き込む。これが伊吹おろしと呼ばれる」※Wikipediaより


この風を真正面から食らいながら、歯を食いしばって帰宅したことをよく覚えている。遠くに冠雪した伊吹山を眺めては、恨めしく睨みつけていたものだ。


そのとき、助けてください!と祈る謙虚さが私にあったらよかったのだが、世界は自分中心に回っていると勘違いしていた当時の私にそんな気持ちは毛頭なかった。



クリスチャンファミリーで、山中湖にキャンプに行ったときのことだ。


湖越しに壮大な富士山の雄姿を眺め、創造主を心に感じては、ともに賛美し、祈ったりした。


今ならわかる。


私を助け、ここまで導いてくれたのは、私ではなく神なのだ、と。


山を睨みつけていた私は、トゲを抜かれ、謙遜を学び、山を眺めて頭を垂れる者に変えられた。


この詩篇にあるように、私の助けはどこから来るの? と聞かれれば、私の助けは天地を造られた神さまから来るのだと、今なら即答できる。



詩篇121篇は、このシンプルな問答を経て、助け主である主が、どのような方なのか説明が続く。


・主は、あなたの足をよろけさせない。
・主は、まどろむことも眠ることもない。
・主は、あなたを守り右手を覆う。
・主は、禍いからあなたを守り、たましいを守る。
・主は、あなたを行くにも帰るにも守られる。


ユニークなのは「右手を覆う」という表現だ。


右に出る者がいないと言うように、右手とは、自分の力や権威を表す。それを神が覆うということは、神の支配や保障を示し、さらに神への私たちの従順をも示している。


神の支配と保障…そう。


父なる神は、私たちの罪を拭うためにイエスキリストをこの世に遣わし、子なる神イエスキリストは、私たちを助け導くために聖霊を遣わした。


これが神の支配、そして保障である。


その聖霊が降ったことを祝う日が、ペンテコステ聖霊降臨日)である。今年は5/31だった。


聖霊が私たち一人ひとりに与えられ、日々私たちを訓練し、正しい道へと導いてくださる。


エスはこう語った。


「わたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます」


私の助けは主から来る!

 


「山を見上げて」を賛美しよう。
https://youtu.be/lg3r6GzSBs8