聖書と歩む営業マンのblog

営業は大変な仕事だ。しかし聖書を読んで、売ることよりも仕えること、貰うよりも与えることを学ぶと、心が晴れる。

約束を守る方

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神には約束したことを実行する力がある、と確信していました。


ローマ人への手紙 4:21


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この聖句、主語がない。誰のことか?


正解は、アブラハム


アブラハムの物語を読んでいると、そのクライマックスは、息子イサクを生贄として献げるシーンであろう。


創世記22章1-14節に、詳しく記されている。


http://seisho-shinkaiyaku.blogspot.com/2010/05/blog-post_5275.html


久しぶりにこの箇所を読んだとき、ハッとさせられた。

 

これまでボンヤリとしか捉えていなかったことが、ハッキリと分かった。



アブラハムのイサク奉献は、父なる神がひとり子なるイエスを生贄とすることと、完全にオーバーラップする。


(1)イサクが薪を背負って歩く→イエスが十字架を背負って歩く


(2)イサクを縛り薪の上に載せた→イエスが十字架に架けられる


(3)献げた(死んだ)イサクがアブラハムに戻された→死んだイエスが復活した


この中で、(3)の理解が難しい。


アブラハムにとっては、神からイサク奉献を命じられた時点で、すでにイサクを死んだものと捉えていた。


しかし、死んだイサクは甦ることが分かっていたのではないか。いや、そう確信していたのではないかと思う。


なぜなら、アブラハムのセリフに「おまえたちは、ろばと一緒に、ここに残っていなさい。私と息子はあそこに行き、礼拝をして、おまえたちのところに戻って来る」とあるからだ。


戻ってくる!と使いの者に告げているのだ。



このアブラハムの強靭な信仰は、いかにして形成されたのか? それが、ローマ人への手紙4章で解説されている。


アブラハムがイサクを授かったのは、彼が1百才のとき。


あなたの子孫を天の星のように、海の砂のように増やそう!と、神から祝福を受けたものよ、一向に子どもを授かることがなかった。


それでも決して不信仰になることはなく、かえって信仰が強められた。


故郷から約束の地へ旅立ってからの日々、神から受けた数々の恵みを忘れることはなかった。


神は、無いものを有るものにできる。神は、約束したことを実行する力があると、確信していた。


息子イサクと父アブラハムの関係は、ひとり子イエスと父なる神の関係と重なると、記した。


と同時に、アブラハムの信仰、そして義は、神に対する私たちの信仰のあり方を示す型でもある。


神からの恵みに対して、私たちは「神は約束したことを必ず実行される方である」と信じる信仰を持って応答する者だ。


久しぶりに創世記を読もうかなと思った。


神の人類救済のプランがどのように展開されているかを知るには、創世記を紐解くのが一番だ。