どうか、希望の神が、信仰によるすべての喜びと平安であなたがたを満たし、聖霊の力によって希望にあふれさせてくださいますように。
ローマ人への手紙 15:13
+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+
娘の漢検の勉強を手伝っているとき、熟語がなかなか手強かった。
身体や幼稚のように同じ意味の漢字を重ねたものとか、反対の意味のものもか、上の字が下の字を修飾しているものとか…。
この聖句を読むと、希望の神や希望に溢れるとあり「希望」に目が留まる。
この希望、ともに「のぞむ」という同じ意味を重ねた熟語である。ちなみに対義語は失望や絶望であり、これは下の字が上の字の目的語や補語になっているものとなり、熟語の構成が異なるのが面白い。
閑話休題。
パウロのここでの文脈は、旧約聖書を通して示されているイスラエルの救いであり、救い主キリストの証しである。
*
が、しかし、この文脈を理路整然と正しく噛み砕くことは、今の私にはできない。
難しすぎる。
だから、前後の文脈からこの聖句だけを切り出して咀嚼する。
この13節でパウロは、どうか〜くださいますようにと、祝祷している。
何を祝祷しているかというと
(1) 信仰によるすべての喜びと平安であなたがたを満たすように
(2) 聖霊の力によって希望に溢れさせてくださるように
の2つである。
が、思うに、(1)の前にも希望が必要かな。
*
私たちは聖書を読み、みことばに励まされ、忍耐と寛容を学び、そして希望を持つことができる。いや、持つのみならず、持ち続けることができる。
それがあって、その希望が実現すると信じているから、将来への不安がなくなり喜びと平安で満ちる。
喜びと平安に満たされたなら、これほど幸せなことはない。
さらに私たちは、聖霊によってその希望が溢れ出るとある。満ちるレベルではなく、溢れ出る! これぞ聖霊のなせるわざ。
希望がオーバーフローする。
喜んでパウロの祝祷に預かろう。遠慮はいらない。希望の神に身を委ねよう。