それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
テサロニケ人への手紙 第一 4:17
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携挙、という言葉がある。
クリスチャンであってもこの言葉を知らない、という人は多い。それもそのはず、携挙という言葉は、聖書のどこにも載っていない。
洗礼を授かった岐阜の教会に通っていた数年間でも、一度も耳にすることがなかった。牧師の説教の中でも、聖書研究会においても触れられたことはなかった。
東京に来て今の教会に通うようになっても、説教では聞かなかった。しかし、教会員同士の会話の中で耳にすることが何度かあった。
ハッキリと分かったのは、3年前から2年間かけて学んだ聖書塾の中でのことだ。ここで「終末論」について学んだとき、携挙とその後に起きることを時系列で理解した。
携挙という言葉は聖書には載っていないが、そのことについては書かれている。その根拠となる聖書の箇所が、ここ、テサロニケ人への手紙第一の4章後半である。
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携挙については、私が学んだ聖書塾の中川牧師が簡潔に解説してくれている。
Q250携挙とは何ですか。【3分でわかる聖書】
https://youtu.be/E9Tx2ji-IyM
ここで携挙について、第一テサロニケ4章を7つのステップに分解して説明している。
①イエスが天から下る
②イエスが号令をかける
③天使の声がある
④神のラッパが響く
⑤死者がよみがえる
⑥生きているものが生きたまま天に挙げられる
⑦空中でイエスに出会い、いつまでもともにいる
このように、携挙の主体は、主イエスである。
そのとき、私たちがまだ生きているかすでに死んでいるか分からないが、まずは死者、次に生きている者の順に天に挙げられる。
中川牧師も動画で触れているように、携挙については、主体者であるイエス自身がちゃんと約束している。
「わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです」(ヨハネ14:3)
と。
また来る、このことを再臨というが、厳密に言うと、再臨は2種類あり、携挙は空中で再臨のイエスと出会う「空中再臨」のことを示す。ちなみにもう1つは、7年間の患難時代を経てイエスが地上に降る「地上再臨」のことであるが、今回は触れない。
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さて、携挙は英語でRaptureである。
Raptureを辞書で引くと「歓喜、狂喜、有頂天」とある。漢字で見ると、天にも昇る気分、有頂天なんて、携挙の意味としてしっくりくるんじゃないかと思う。
私たちにとって、今生きているこの世は、あくまで通過点であると認識する。死んだら何もかもおしまいと、ばあちゃんがよく言っていたが、そうではない。この世の生を終えても、次なる展開が用意されているのだ。
生きたままか、死んでからか、それはわからないが、いつか必ず復活の主イエスに出会い、いつまでもともにいられる。
このことに希望を見い出し、望みをかけるからこそ、今の苦しみを越えていける。
We will always be with the Lord.