あなたがたはすべての点で、あらゆることばとあらゆる知識において、キリストにあって豊かな者とされました。
コリント人への手紙 第一 1:5
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この励まし!
パウロがギリシアのコリントにある教会の信者に宛てて書いた手紙の冒頭である。
コリント教会への手紙は、不信仰や不道徳に陥った信者を叱咤し、悔い改めを促すことが目的であるが、その手紙の冒頭はパウロの愛、温かな眼差しが注がれている。
パウロの愛をたくさん注がれていてもなお、堕落した生き方を選択したコリントの人たち。それは、現代の私たちにも通ずるものがある。
愛されても、その愛に気付かない。愛されても、その愛をないがしろにする。愛されても、その愛を踏みにじる。
愛が叫ばれる現代は、それだけ愛が必要であることの裏返しであると思う。
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そもそも私たちは、生まれながらにして罪を背負っている存在である。
罪の報酬は死である。人は誰でも必ず死ぬ。つまり、人はみな罪を負っている。
と、三段論法で言うとそうなる。
いやいや、人サマに迷惑かけるような悪いことは何もしていないとか、これまで罪を犯したことなんてないとか、反発する気持ちもわかる。
かつての私がそうだったから。
しかし、聖書を読み信仰を告白し、クリスチャンとして生きる今、自分は罪を犯していないと公言することがどれほど恥ずべきことかわかる。
誰もが罪人と言うと、表現がキツイかもしれないが、誰もがみな罪の性質を持っていると言えば、それもそうだと納得できるかもしれない。
自分の中にある罪の性質を認識せずして、救われることはない。
贖罪の前に、まず認罪があるのだ。
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認罪しているから、救われたことに感謝できる。
愛されていることに喜びを感じる。
パウロの励ましがとてもいいのは、私たちは豊かな者とされました、と完了形で書かれていること。
英語で読んでみると、You have been enriched …とあり、やはり完了形であった。
完了形ということは、英語の授業で習った継続用法だから、豊かな者とされて、それが今もずっと続いている、ということになる。
豊かなを表すenrichedは、外面的、つまり経済的な豊かさよりも、内側の豊かさを表している。
一度救われたら、その救いからこぼれることはないと言うが、それはずっと豊かな者として継続した恵みを受けているからだろう。
私たちは言葉において、知識において、あらゆる点において、キリストにあって豊かな者とされている。
この大いなる祝福に、1人でも多くの人に加わってほしい。アドベントに入り、一層強く思わされる。