キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。
コロサイ人への手紙 3:16
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前回、You have been enriched …の箇所では、richの動詞形であるenrichが、外面的、つまり経済的な豊かさよりも、内側の豊かさを表している、と書いた。
今回は、richの副詞形であるrichlyが含まれる箇所を取り上げることにした。
キリストによって豊かな者にされた私たちが、具体的にどのように応答すればよいのか、この聖句から学び取りたい。
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たった一つの聖句からでも、得られる恵みはたくさんある。
3つに分解しよう。
まずは、豊かな者ととされた私たちは、キリストのことばを蓄えておく必要がある、ということ。
いや、蓄えるではなく、住む、だ。あえて、住むと表現するところがいい。ただ、キリストのことばを取り込むだけでなく、ことばが内住し、常に豊かさに溢れ、表情や行動が変えられていくことである。
次に、知恵を尽くして互いに教え、忠告し合うこと。
二番目のステップは、いささか難しい。なぜなら、自己完結できないからだ。教え合ったり、忠告し合ったりするには、相手が必要である。
他人に教えたり、忠告したりするには、愛と思いやりがなければならない。愛と思いやり抜きに教えたり忠告したりすると、反発される。妬まれたり迷惑がられたりする。
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最後は、感謝をもって心から神に向かって歌うこと、である。
私は教会でプレイズの奉仕をしている。プレイズとは賛美のことで、高校生のときからバントでドラムをプレイしてきた私は、礼拝で賛美するときに壇上でドラムを叩いている。
得意のハードロックやヘビメタを叩くのではなく、神さまを褒め称える賛美を奏でている。自分でも不思議な感じだ。
プレイズメンバーとして奉仕し始めた当初は、上手く演奏することを考えていた。皆が気持ちよく賛美できるように、ではなく、自分が失敗しないこと、格好よく叩くことに気持ちが向かっていた。
次第にそうではなく、礼拝参加者と一緒に賛美できるよう、心にゆとりをもってできるようになった。
しかし、それが最善のレベルではない。奏楽とは神への賛美である。このことがコアにあるのがよい。
私のためではなく、皆のためでもなく、ただ神のために。
感謝をもって心から神に向かって捧げよう。