しかし、このことのために、わたしはあなたを立てておいた。わたしの力をあなたに示すため、そうして、わたしの名を全地に知らしめるためである。
出エジプト記 9:16
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聖書を正しく理解するためには、歴史的背景や前後の文脈を抑えなければならない。
が、今回は歴史や文脈を意識しつつ、この聖句を自分に引き寄せて捉えることにする。これこそ適用なのだから、アプローチとしては間違っていないわけで。
聖句にある「わたし」とは神のこと、「あなた」は、文脈では裁きを受けるエジプト人のこと。いや、突き詰めるとエジプト王ファラオのこと。
神がエジプト人(ファラオ)にくだした裁き(十の災い)は、神の力を示すため、神の名を全地に知らしめるため、という意味である。
神がエジプト人を裁いたのは、神の計画の一部であるのだが、裁きとは真逆に、イスラエル人を特別に祝福したり、イスラエルを通して世界の人たちが救われるのもまた神の計画である。
ここで、「あなた」を「自分(私)」と置き換えてみる。
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今日の聖句はこうなる。
「神が私を立てておいたのは、神の力を私に示すため、そうして、神の名を全地に知らしめるためである」
こうすると、神のエジプト人に対するメッセージが、他人事ではなく、自分事として迫ってくる。
神の名を知らしめ、神の力を示す、その目的のために私がいる、と。
これってとんでもなく凄いことだ。
自分の存在意義、どうして自分が今ここにいるのか? その理由がハッキリ示されるからだ。
それは神の無条件で一方的な恵みであるし、そしてそれは裏返せば、神を知り神を信じる者に課せられた使命がある、ということになる。
その使命は、神の名を知らしめ、神の力を示すこと、つまり、私の生き方を通して、神を証しすることである。
神を証しするときのイラストレーションは、高い山の上に1人で立っている力強い自分のイメージである。
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You raise me up という私の大好きな賛美がある。
ケルティックウーマンのによる歌が有名で、トリノ五輪で金メダリストの荒川静香が、この曲で氷上を優雅に滑っている姿が記憶に残っている。
この曲のサビが、今日の聖句、そして私のイメージとリンクして迫ってくる。
You raise me up, so I can stand on mountains
(あなたは私を起き上がらせてくれる、だから山の上にだって立てる)
You raise me up to walk on stormy seas
(あなたが私を起き上がらせてくれるから、嵐の海の上も歩ける)
I am strong when I am on your shoulders
(私は強くなれる、あなたの支えがあるとき)
You raise me up to more than I can be
(あなたは私を起き上がらせてくれる、私が思っている以上に)
そう、I raise myself. ではなくて、Lord, YOU raise me up! なのである。
神の計画の成就のほんの小さな断片に、私は置かれている。壮大なパズルの1ピースとして、確実に必要とされている。生かされている理由が、ちゃんとある。