聖書と歩む営業マンのblog

営業は大変な仕事だ。しかし聖書を読んで、売ることよりも仕えること、貰うよりも与えることを学ぶと、心が晴れる。

サーバントリーダー

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エスは腰を下ろすと、十二人を呼んで言われた。「だれでも先頭に立ちたいと思う者は、皆の後になり、皆に仕える者になりなさい」


マルコの福音書 9:35


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リーダーとリーダーシップ、違いがわかるだろうか。


運動会の選手宣誓でよく、スポーツマンシップにのっとり…なんて言う。このスポーツマンシップとスポーツマンはどう違うか。


フレンドとフレンドシップはどう違うか。


〜シップと、シップをつけると意味がガラッと変わる。シップは船のshipと同じか? 船と関連あるだろうか。こじつけて理解してみようか。


船は船でもカヌーみたいな1人用ではなく、少なくとも複数人を乗せるボートくらいのサイズをイメージしてみる。すると、とても1人では漕げないことが理解できる。メンバーで協力して漕がねば前に進めないことが分かる。


こじつけかもしれないが、船(ボート)での理解は意外にいいかもしれない。


フレンドシップの意味は友愛とか友情だし、スポーツマンシップの意味は対戦相手に対する敬意や思いやり。どちらも単独ではなし得ず、他者との関係性の上に成り立つものである。


ならば、リーダーシップもまたそうだろう。



リーダーって偉い人、逆らえない人、牽引力のある人、なんとなくそんな印象を持っていた。


ジャンヌダルクのように"Follow me"と旗を振って先導するようなリーダーこそリーダーシップがある人だ、と思ってきた。


現にスティーブ・ジョブズ本田宗一郎などのカリスマ経営者は、このようなリーダーシップを発揮している。


しかし、それだけじゃないことが分かってきた。


MBAの試験を週末に控え、ここ最近は経営学の本ばかり読んでいる。


なかでも学びたい分野は、組織論やリーダーシップ論。と、簡単に言うが、知れば知るほど奥が深く、理解も難しければ全体像の把握にもまだまだ程遠い。


学んでいると、リーダーシップは単にリーダー性や資質を指すのではなく、かと言って、単にカリスマ性や統率力だけを指すのでもなく、あくまで、他者に対する影響力であることが分かる。


影響力を及ぼすことのできる人が、リーダーシップがある人、である。



エスが弟子たちに言った「上に立ちたいのなら、しんがりの者になりなさい。仕える者になりなさい」は、リーダーシップの本質を突いていると思う。


影響力を及ぼすことができないリーダーは、リーダーシップがあるとは言えない。逆にリーダーシップを発揮することができれば、誰もがリーダーなのだ。


リーダーシップがある人はリーダーである、は真。でも逆に、リーダーならリーダーシップがある、は偽。


論理と命題みたいだ。


勘違いしてはならない。管理職として上に立っている役職上のリーダーであったとしても、必ずしもリーダーシップを持っているわけではないのだ。


エスが説いた「仕える者こそリーダーである」というリーダーシップは、サーバントリーダーシップと言われている。


カリスマだけがリーダーではない。サーバントとしてのリーダーもあっていい。二千年前、イエス自身がサーバントリーダーであったのだ。神に仕え、そして人に仕えた。


私は、それに倣う者でありたい。