父たちよ。自分の子どもたちを怒らせてはいけません。むしろ、主の教育と訓戒によって育てなさい。
エペソ人への手紙 6:4
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子どもを怒らせてはならない。神の教育を施しなさい、とある。
前半は分かる。
コロサイ人への手紙 3章に「父たちよ、子どもたちを苛立たせてはいけません。その子たちが意欲を失わないようにするためです」とある通りだ。
子どもを怒らせないために一番大切なことは、嘘をつかないこと、約束を破らないことだと思っている。
親子とはいえ、最も至近な人間関係であるから、そこで信用や信頼をなくせば、怒りから失望に変わるだろう。
後半が難しい。
神の教育、そして訓戒によって育てるとは、いったいどういうことか?
英訳を見てみると、bring them up in the training and instruction of the Lord とある。教育と訓戒と訳すから難しいのであって、これは神の訓練のことだ。
ヘブル人への手紙12章に「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。主に叱られて気落ちしてはならない。主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから」とある。
つまり、神が私たちを訓練するように、私たちも子どもを訓練する、ということである。
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ただ、訓練というと、いささか高圧的な印象がある。
誤解が生じないように、神の訓練のことをよく知っておかねばならない。神の訓練とは、愛を媒介にした試練であり、希望が約束されたものである。
「あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます」
と、コリント人への手紙 第一 10:13にある、この脱出の道こそが希望。
愛と希望のない訓練は、ただのイジメであり、拷問のようなものだ。
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へブル人への手紙 12章の続きにこう書いてある。
「すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます」
決して根性論ではない。鍛えることで得られるのは、忍耐だけではなく、平安の実なのだ。
とわかっていても、さて自分はどうだ?と問われると、思春期の娘との関係に悩む1人の父親でしかない。
世間的にも難しいと思われているだろう。
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ついこんな本を買ってしまおうかと思ったりする。
しかし、今をどうやり過ごすかではなく、その先に何を見るか? そこに愛と希望はあるか? 平安の実を結んでほしいと願っているか?
それが大事だ。