あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。
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復活したイエスが弟子たちの前に現れたとき、弟子たちは12人ではなく10人であった。
いなかった2人のうち、1人はイエスを裏切ったユダ。彼は既に自ら命を絶っていた。もう1人がトマス。トマスがなぜ他の弟子たちと一緒にいなかったのか、聖書には書いていないから分からない。
で、トマスが仲間たちのもとに帰ってきたとき(それまで弟子たちは指導者であるイエスを失って消沈していたのに)、彼らが興奮している様子を見て訝しんだ。
何があったのだ?
聞けば、イエスが復活して仲間たちの前に現れたと言う。
続きは、聖書を引用してみよう。
弟子たちは彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私はその手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」と言った。
とある。
*
このゆえに「疑い深いトマス」と言われる。
しかし、トマスのことを、私は非難できない。私だって見なければ信じない。頑なさでは負けていない。いや、見ても聞いても信じない私は、トマスより疑い深いではないか。
トマスの話は、まだ続きがある。
それから8日後、再び復活のイエスが弟子たちの前に現れた。今度はトマスもいた。
そのトマスにイエスがかけた言葉が今回の聖句である。
信じない者ではなく、信じる者になりなさい、と。トマスはさぞ驚いただろう。どんな気持ちだっただろう。
トマスはイエスに答えた。
私の主、私の神よ!
*
トマスは12使徒の1人である。イエスを信じていないはずがない。
しかし、信じていてもなお疑うものなのだ。
イエスを三度も知らないと言った筆頭弟子のペテロをはじめ、使徒たちですら、いつもイエスの近くにいてイエスの奇跡や教えを見ていた彼らですら、イエスが十字架に架けられたときは、蜂の子を散らすように逃げて行ったのだ。
死んで葬られたイエスが3日目に復活し、自分たちの前に現れて、そうして彼らの信仰は確固たるものになった。
ヨハネ20章はその過程がよく描かれている。
最も頑なである男トマスが、見て触って信じるところ、そして「わが主よ!」と信仰を告白するところ、ここが福音書のクライマックスである。
トマス、泣き崩れただろうな。
信じない者から信じる者へ。弟子たちがそうであったように、私たちもまた信じる者へ変えていただこう。
疑いをやめ、頑なさを解き、素直に信じる者へ。
イエスは招いておられる。