聖書と歩む営業マンのblog

営業は大変な仕事だ。しかし聖書を読んで、売ることよりも仕えること、貰うよりも与えることを学ぶと、心が晴れる。

ピースメイカー

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悪を離れて善を行い
平和を求めそれを追い続けよ。


詩篇 34:14


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終戦76年目を迎えた。


今年は東京五輪やコロナ禍で、どうもふわふわと浮ついているような感じだ。


首相が広島の平和祈念式典で重要な箇所を読み飛ばすとか、まさにそうだなと思わせる。


我が国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり『核兵器のない世界』の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です。
 
このくだりを言えなかったことは致命的だ。
 
平和について、特に戦争や原爆について、私が知ったのは、小学生のときに読んだ「はだしのゲン」だった。絵本の「ひろしまのピカ」はショッキングだった。
 
その後、中学生のときに「黒い雨」、高校生のときに「野火」を読んだ。
 
中学の公民の授業で憲法を学び、非核三原則を知った。希求という熟語もはじめて知った。希み求める、普段使わないけど、実にいい言葉だ。
 

 
大人になるにつれ、現実の生活に追われ慌ただしく過ごすようになると、平和の有り難みを忘れてしまう。
 
立ち止まって、平和の尊さを噛み締めたい。
 
詩篇では、善を行い平和を求めよ、とある。さらに、追い続けよとも。
 
いにしえの偉人も分かっているのだ。
 
平和は儚いと。平和は追い求め、求め続けないと成り立たないものであると。
 
エルサレムの語源は、エルが神、サレムがシャロームで平安の意味があると言う。神による平和、神が治めることで得られる平和、しかも、追い求めないと得られない平和。
 
待っていても平和は得られず、追い求めると得ることができる。


それは、自らの心の平安であり、他者との関係における平穏であり、そして世界の平和である。
 

 
日本が平和を祈念しているその裏で、タリバンアフガニスタンを制圧したというニュースが入ってきた。
 
あの同時多発テロから20年、どうしてこうなるの?と憤らずにはおられない。
 
また多くの一般人が犠牲になるかもしれない。多くの難民が発生するかもしれない。
 
それでもアフガンの平和を追い求める。
 
エスはこう述べた。
 
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ 5:9)


平和を求めるとは、平和をつくることであった。


悪意を捨て善意をまとい、悪を捨て善を行なう。それが、平和をつくるということだ。


Peacemakerとして、平和を希求しよう。