その働きのゆえに、愛をもって、この上ない尊敬を払いなさい。また、お互いに平和を保ちなさい。
テサロニケ人への手紙 第一 5:13
+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+
ビジネススクールの授業も3回目を終えた。
1回100分の授業を2コマ、それを3本続ける土曜日。朝9時に学校に行って、夜8時までこもる。しんどいけど、悪くない。たぶんこれまでの人生で一番勉強している。
中でもリーダーシップ論の授業がハードだ。予習として教材に目を通し、授業はグループワークが多く、そしてレポートが宿題として課される。
さらにグループワークも平日の夜に進めないと間に合わない、なんてありさまである。
仕事をしながらの学び、睡眠時間の確保も厳しい…しかし、これがなかなか刺激的で楽しい。
今週はリーダーシップ論で、チームワークについての課題が出ている。
そこでこの聖句の登場、である。前置きが長くなったが。
*
チームにおけるリーダーシップの研究は、アメリカを中心に数多ある。
とりわけ、心理的安全性のような目に見えない部分で、リーダーシップをどう発揮するのか、リーダーはどう影響を及ぼすのか、この辺りの研究は現在進行形である。
だから私たちもさまざまな研究を学び、そこから日々の業務、いわゆる現場に適用しながら、研究が有効かどうかを身をもって検証する。
そこで私は自問するのだ。
What should I do as Christian? と。
私はリーダーである前にクリスチャンだ。リーダーとしてどう動くか?の前に、クリスチャンとしてどう考えどう動くか?
*
表出する言葉や行動がどうあるべきかより前に、もっと根本的に、ベースとなる心持ちというかアティチュードとして、今日の聖句を刻んでおきたいと思うのだ。
3つ並んでいる。
・愛をもって
・尊敬を払って
・平和を保って
である。
ラブ&ピースにリスペクトが加わっている。
これを職場で実践する、リーダーとして実践する。自力でそうしようと思っても難しいと思う。
だから、そうできるように祈るのだ。
愛を持とう、尊敬を払おう、平和を保とうと、思えば思うほど、自我が顔を出してきて、自己欺瞞に陥る。
自己顕示欲を満たすのがオチだ。
そうじゃなくて、愛を持てるように、尊敬を払えるように、平和を保てるように。
そう祈って、私たちの言葉や行動が神によって清められ、そして規定されることを願うのだ。