聖書と歩む営業マンのblog

営業は大変な仕事だ。しかし聖書を読んで、売ることよりも仕えること、貰うよりも与えることを学ぶと、心が晴れる。

怒りの感情

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怒ることをやめ 憤りを捨てよ。
腹を立てるな。それはただ悪への道だ。


詩篇 37:8


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悪の3タテ。


怒り、憤り、そして苛立ち。


こうして並べると、違いをちゃんと理解しておきたくなる。


怒り。誰から見ても腹を立てていることが分かる状態のこと。怒りの対象は何でもよい。


憤り。心の中で腹を立てること。外からは分からない。自己の正当性や一般常識が破られたときに使う。


苛立ち。思うようにいかないことや不快なことのために、気持ちが高ぶること。焦ってイライラすること。


見える見えないの観点からすれば、怒り>苛立ち>憤りとなるだろうか。


しかし、ネガティブな感情が最も大きいのは、憤りかもしれない。見えないがゆえに、マグマのように溜め込んでいるから。


聖書は言う。


怒るな、憤るな、苛立つな、と。それはただ悪への道だから、と。



怒りに我を忘れる、と言う。


自分を見失っているということは、それはつまり、自分ではない他の何かに自分を乗っ取られている、ということだ。


それは悪である。


サタンは、怒りや憤り、苛立ちといった強い感情を引き起こすことで、私たちが我を忘れるよう仕向ける。


私たちはそれにいとも簡単に屈する。


サタンの侵入を防ぐバリアなんてないから、あっという間に支配される。


分かっている、私たちは弱いって。


でも、だから、私たちには聖書が与えられている。そこには人間の弱さや脆さが生々しく描かれている。目を背けてはいけない。


そして、変わらぬ神の愛が溢れている。イエスという模範が示されているし、私たちの罪の身代わりになって死んでくださったことも書かれている。


死んで復活したイエスは、死を克服し永遠に生きる。信じ受け入れた私たちもまた、永遠のいのちを得る。


バリアにはならなくても、マントくらいにはなる。それで充分である。



とはいえ、イエスだって怒ったり憤ったりする。


弟子に対してだったり、敵であるパリサイ人に対してだったり、民衆に対してだって。


大切なのは、怒りの感情に巻き込まれない、支配されないってことかと思う。


難しいけどね。


アンガーコントロールなんて言うくらいだから。私も本を読んだが、理論で分かるのと、実際その場で実践するのとは違うし、難しい。


怒りって瞬間湯沸かしのごとく、待ったなしの一瞬でピークに来てしまうから。


もう祈るしかない。


そういえば、リーダーシップ論の課題で、映画を観てのレポートが出された。12 Angry Men(1957)、邦題は「12人の怒れる男」である。
 
三谷幸喜のパロディ版は観たことあるけど、オリジナルは実は観たことなかった。これはいい機会だ。
 
課題だから12人をマジメに分析しながらだし、リーダーシップがどう発揮されているかにも気を配りながらだから、のんびりとはいかないけど、でもきっと楽しめると思う。
 
怒りの観点からも眺めてみたい。戦後10年近く経った頃のアメリカの喧騒が、おそらく垣間見れるはずだから。