愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。
ルカの福音書 12:20
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またまたルカの福音書から。
前々回は10章からマルタとマリア姉妹、前回は15章から放蕩息子のたとえを取り上げた。
スキップしたところにも珠玉の御ことばがこれでもかと詰め込まれているのに…。
ルカの福音書は、時系列に沿って書かれているから、後世の信者にとってイエスの生涯を順に追いかけやすいのが嬉しい。
だから、本来は頭から順に読んでいくべきなのだ。
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ここで「愚か者!」(英語ではYou fool!=おまえはバカか!)と叱られているのは、ある金持ちの男である。
前回の放蕩息子のたとえ同様、この話もイエスのたとえであるから、ある金持ちの男は実在しない。
しかし、イエスのたとえは、当時の民衆や宗教学者たちが聞いても分かる内容であったのだから、金持ちの男は架空の存在とはいえ、誰もが「あぁ自分もそうだな」とか「自分にも同じような性質があるよな」と思ったに違いない。
さて、どんな話かというと、予想以上の豊作に歓喜した金持ちの男が「どうしよう、私の作物をしまっておく場所がない!もっと大きい倉を建てて穀物も財産もすべてしまっておこう」と言って、巨大な倉を建てた。
そして「わがたましいよ、これから何年先分も貯めた。さあ休め、食べて、飲んで、楽しもう!」と誇らしく言った。
という話。
それに対する神の言葉が今日の聖句である。
愚か者よ!と叱咤されるのである。どんな真理があるのかというと…。
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私たちは日々何を食べようか、何を着ようか、何を買おうか、迷ってばかりいる。
暮らし向きを少しでも良くするためにあくせく生活をまわしている。そんな私たちに、聖書は何が大切なのかを明確に示してくれる。
イエスは金持ちの男のたとえに続けてこう語った。
ですから、わたしはあなたがたに言います。何を食べようかと、いのちのことで心配したり、何を着ようかと、からだのことで心配したりするのはやめなさい。いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものだからです。
大切なのはいのち、である。
さらにイエスは、別の箇所でも同じことを話している。こちらはマタイの福音書16章26節にある有名な聖句。
人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか。そのいのちを買い戻すのに、人は何を差し出せばよいのでしょうか。
いのちを大切にしよう。
生かされていることに感謝し、生きている意味を見いだそう。