だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。
ルカの福音書 18:14b
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秋の異動で新しい部署の責任者になり、新しいメンバーと新しいチームで船出した。
これまで自社でやったことのない新しい取り組み、そこから成果を上げることがミッション、つまりゼロイチ。
キックオフのときに、それなりの絵を描いて語ってはみたが、ルーティン化されていないから、日々いろんなことが起こる。
分かっていたけど、なかなかしんどい。
ということで、リーダーシップのスタイルを改めることにした。
なんでも自分で抱え込んで、自分で考えて、それを伝えて、動いてもらうというやり方をやめた。そもそも抱えきれないし、考えが正しいかどうかも分からないのだから、手放すしかないのだ。
リーダーだからすべてがわかっていなければならないなんて、そんな必要はない。
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一昨年のコロナのとき、リモートワークが当たり前になり、お客さんとのやりとりがZoomやMeetを使ったオンラインになった。
そんな中、ひたすら出社して対面の会議や商談にこだわったり、オンライン商談は部下にやらせて自らはまったく操作しなかったり、そんな困った上司があちこちにいた(らしい)。
ことデジタルに関しては、若手の方が圧倒的に強くて、コロナのような予期せぬ事態のときは、デジタルネイティブの20代は軽やかにサバイブする。
自社においても状況は同じで、新しい環境に適応していく若手と一緒に適応しようと努める上司、という美しい関係があった一方で、自分は手を動かさず何もしない困った上司もいた。
あれから2年が経ち、もはやオンラインでのやりとりは当たり前になった。若手とかベテランとか、もはや関係なくなった。
しかし、あのとき習得を怠ったベテランは、デジタルはちょっとね…と苦笑いするダメダメな存在に結局成り下がった。覚えられなかったのではなく、覚えようとしなかったのであり、それは怠慢でしかないのだけど。
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過去の成功体験にしがみついて、新しいことに背を向けていると、使えないヤツとレッテルを貼られる。
まさに高ぶる者は低められる、の通りだ。
実はルカの福音書だけでなく、マタイの福音書にも同じようなことが記されている。
あなたがたのうちで一番偉い者は皆に仕える者になりなさい。だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。(マタイ23:11-12)
後半はルカとまったく同じ内容。
しかし、マタイの方は、高ぶる→低められる、低くする→高められる、の対比構造の前に、偉い人は仕える者になりなさい!というイエスの言葉を紹介してくれる。
これこそまさにリーダーに示されるべきことだ。
わからないことはわからないと謙虚に、わからないことはわかろうとする素直さが必要ではないか。仕える者とはそういうことではないかと思う。
だから、弱みをさらけだすことにした。できないことはできないと言うことにした。一緒に考えていこうと心を開くことにした。
そんなサーバントリーダーに、私はなりたい。