彼女は、自分にできることをしたのです。埋葬に備えて、わたしのからだに、前もって香油を塗ってくれました。
マルコの福音書 14:8
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釘隠しとマスコット。
鹿児島出張から帰ってきて、心に残ったもの。島津の偉業も西郷の 人気も知覧の凄惨さも、どれも印象深かったが、 歴史に学ぶと同時に、小さなものに目が留まった。
小さいもの。そして、その先にある作り手の気持ちに想いを馳せた 。
釘隠しを見たのは、鹿児島市北部の磯地区にある仙巌園。そこには 島津の殿様が滞在する御殿があり、御殿を見学しているときに意匠 を凝らしたさまざまな釘隠しを見た。
https://www.senganen.jp/experience/the-house/
釘隠しとは、読んで字の如く、柱に打ち付けた鍵のアタマを隠して 見映えをよくするためのものである。
しかし、釘を隠すという機能的な目的であれば、デザインはどうでも良いはずだ。仙巌園のそれらは、薩摩焼あり、金で覆ったものあり、蝙蝠デザインもあり、全12種類のどれも大変素晴らしい芸術作品であった。
ガイドの方の説明によれば、当代の有名な職人が手掛けたとのことだが、見上げなければ気が付かないパーツにあんなにこだわるなんて驚きしかない。
近付いてよく目を凝らさないとわからないレベルで繊細な細工がなされている。この小さな作品に作り手の意志というか意地を感じる 。
自分ができることを最大限に発揮したのであろう。
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出張最終日には知覧まで足を伸ばした。
行きたかった特攻平和会館に行くことができた。鹿児島市内に滞在していたから、ここまで来られるとは思っていなかったが、なんとか時間を確保できてよかった。
ひとたび中に足を踏み入れると、もう言葉を発することができない 。写真、遺品、遺書の数々に胸が苦しくなる。心を打つのは、 直筆の遺書である。20才そこそこの若者が、 自国のためとはいえ、自らの命を賭すことになんの抵抗もなく「 征ってきます」「散ってきます」「撃ってきます」と書き、「 泣かないでください」「喜んでください」「祝ってください」 と願う。
今の時代から見れば、どうしてそんなに簡単に自分の命を捨てるのか?と、疑問が湧く。しかし、時代がそうさせたのだ。 もっと言うと、教育が若者を戦争に向かわせたのだ。
そこで、ふと変わった展示品に目が行った。
マスコット人形である。近所の知覧高等女学校の生徒が特攻隊員のために手作りしたものであった。 彼らはこのマスコットを胸に付け、または機体にぶら下げて飛び立 った。女学生たちは、1機1機飛んでいく特攻隊員を手を振って見 送るしかなかった。
わずか数日前に知覧に到着し、慌ただしく飛び去って行く。そして二度と戻らない特攻隊員のために、マスコット人形を作ることが、 彼女たちにできることであった。
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マルコの福音書14章前半では、十字架に掛けられる前のイエスのもとに、ある女(ベタニア村のマリア)がやってきて、大変高価なナルドの香油をイエスに注いだことが記されている。
続きを読んでいくと、油を注いだ女に対して、周りの者が「何のために香油をこんなに無駄にしたのか!」と憤慨した、とある。
周囲に厳しく責め立てられた女に対して、イエスが掛けた言葉、それが今日の聖句である。
「彼女をするままにさせておきなさい」
「わたしのために良いことをしてくれたのです」
「彼女は自分にできることをしたのです」
こうして、イエスは女の行為を受け入れ、女にできることを、女の 好きなようにさせることを許された。
釘隠しの職人も、マスコット人形の女学生も、そして油を注いだマ リアも、自分ができることをした。
その行為は尊く、誰もそのことを非難することはできない。むしろ 、できるのにしないことこそ責められるべきなのではないか。
できることを、しよう。