愛する者たち、自分で復讐してはいけません。
神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。
「復讐はわたしのもの。わたしが報復する」
主はそう言われます。
ローマ人への手紙 12:19
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夕食を食べながらFather Brownを観る。
前情報を持たず何気なく観始めたこの番組に、最近すっかりハマっている。
登場人物のキャラ設定、ストーリーの面白さ、美しいイギリスの景色とQueen English…このドラマの良さはいくつも挙げられる。
ブラウン神父役の俳優は、Harry Potterのロンの父親役の方であった。ふくよかな風貌で、酒を飲み競馬を愛する、ユニークな神父役がよく似合っている。
私はプロテスタントの信者なので、ドラマの中に出てくる教会、なかでもconfession =告解は、カトリック独自のものだけに興味深い。ブラウン神父は地域の信者の罪の告白を受け、秘匿義務がある。
ブラウン神父は、人を殺めてしまった者に悔い改めを迫るとき、サラッと聖句を入れる。聖書に対する共通理解があるから成り立つことで、罪を犯し絞首刑を受ける者にさえ、悔い改めの機会を提供する。
先日の回は、濡れ衣を着せられ放火犯として囚人となった女性が、服役後、自分に罪を被せた人たちに復讐していくというストーリーであった。
ブラウン神父は、彼女の復讐を知ったとき、今日掲げた聖句をもって、悔い改めに導いた。
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この聖句、もとは旧約聖書「レビ記」にある。
あなたは復讐してはならない。あなたの民の人々に恨みを抱いてはならない。あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。わたしは主である。
(レビ記 19:18)
パウロは律法学者であったから、間違いなく「レビ記」の聖句は誦じていたであろう。
だから、復讐はダメだと説いた。
また、パウロは別の箇所でも同じように述べている。
私たちは「復讐はわたしのもの、わたしが報復する」、また「主は御民をさばかれる」と言われる方を知っています。
(へブル 10:30)
このように復讐という行為は、神さまがするものである。
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私は観たことがないが、その昔「復讐するは我にあり」という名作があった。
我とは、本来、神を指すが、このタイトルだけを取り出して、我を自分と置き換える誤用が流布していると思う。
野球の松坂大輔の活躍で「リベンジ」という言葉が一般化し、半沢直樹の影響で「倍返し」が流行した。これらはいずれも「やられたらやり返す」「目には目を」の考えである。
これを同害報復という。
しかし聖書はそう言っていないのだ。復讐は人間がするのではなく、神の領域なのだ、と。
イエスもこう言っている。
「目には目を、歯には歯を」と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい。
(マタイ 5:38-39)
ブラウン神父もまた、罪を犯した者、復讐に心を奪われている者に対して、復讐を禁じ悔い改めに導く。
私たちもまた、日々の生活の中で、仕返しをしてやりたいという邪念に取り憑かれることがある。けれど、それは神さまに委ねて、神のなされることとして転嫁しよう。
復讐は神のもの。