神はこの方を三日目によみがえらせ、現れさせてくださいました。
使徒の働き 10:40
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4月12日はイースターだった。
いつもならば、恒例のエッグハントを子どもたちと一緒に楽しんでいた。近隣の公園に出向き、中にチョコが入った擬似たまごをあちこちにたくさん仕込み、ヨーイドンで子どもたちは一斉に探しに行く。
約束していた数よりたくさん取ってしまったり、取り合いになって喧嘩したり、なかなか見つけられずにベソかいたり、そんないつもの光景が今年はなかった。
もちろん当日は春の嵐のようなひどい雨だったから、そもそも開催はできなかった訳だが、そういうことではなく、子どもたちの姿を見られないことが本当に寂しい。
学校が休校になり、教会で礼拝を行わなくなり1ヶ月以上になる。子どもたちは毎日どう過ごしているだろうか。家族と楽しく過ごしているだろうか。イースターをお祝いすることはできただろうか。
子どもたちの心と身体が健康で健全であるように願う。
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さて、イースターというと、復活であることはクリスチャンじゃなくても知っている。
そう、イエスキリストが十字架で死んだことも、その後復活したことも歴史的事実として知られている。
しかし、事実として理解していることと、それを受け入れ信じることとの間には、とてつもなく大きな隔たりがある。
イエスは死んだことは知っている。けれど、それは私の罪の身代わりとしてであると信じるか?
イエスが甦ったことは知っている。けれど、それは罪の代償である死に打ち勝ったこと、そして、死の先には尽きることのない命があること、それを信じられるか?
父なる神と断絶したイエスが、再び父によって甦られたこと。この歴史的証人こそ、イエスの弟子たちである。なかでも筆頭弟子ペテロの証しは、私たちに希望をもたらす。
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新約聖書、使徒の働き10章は、ペテロとローマの百人隊長コルネリオの話である。
救いはユダヤ人だけのものと確信していたペテロが聖霊に導かれて、ローマ人コルネリオに会う。すると、彼は割礼こそ受けていないが神を畏れる信者であった。
ユダヤ人にとってローマ人は異教の民、すなわち異邦人であり、彼らが救われるなんて思いもしなかったペテロだが、コルネリオに会い話を聞いて得心するのだ。
「神は、イスラエルの子らにみことばを送り、イエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えられました。このイエス・キリストはすべての人の主です。どこの国の人であっても、神を恐れ、正義を行う人は、神に受け入れられます」
この宣言は、現代の私たちにも適用してもよい。ペテロが開いた異邦人への救いの道は、二千年を経た今も有効である。
不安や恐怖に心が擦り減ってしまうが、神の救いの道は、私たちに希望の光を照らす。神に依り頼もう。復活の主は今も生きておられる。
使徒10章を詳しく解説しているサイトはないか探したところ、北海道のとある教会のメッセージがとても分かりやすかった。
https://shikaoichurch.com/2018/04/13/the-pentecost-of-the-stranger/
Stay Homeな日々でも元気に賛美。復活の主をほめたたえよう!
♪ Lord, I lift your name on high
https://youtu.be/3tWSu9NAFIk