それは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になるということです。
エペソ人への手紙 3:6
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神は世界を創られ、そして人類を創造された。
創世記を第1章から順に読み進めると、最初の人であるアダムとエバの話から始まって、カインとアベルの兄弟、ノアの洪水、そしてバベルの塔と続く。
12章に入るといよいよアブラハムが登場する。
ここで、聖書の神は全人類への関わりから、アブラハムとその家族、そしてその民族へと焦点を絞っていく。これが選びの民、イスラエルのスタートである。
以降、旧約聖書はすべてイスラエル人の歴史である。
それが、イエスキリストが誕生したことで変化する。どう変化するのか? それは、神の関わりがイスラエル人から再び人類すべてに拡がったのである。
神の救いの計画が、イエスキリストによって、イスラエル人限定の状態から、全人類共通のことに拡大された。
それが新約聖書であり、現代に適用されるべき前提となる。
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聖書で異邦人と言うと、イスラエル人以外のすべての民族を指す。
イエスの時代だとギリシア人やローマ人がその代表格になるし、イスラエルから分派した民族も該当する。
イエスの12人の弟子たちはみなイスラエル人であるが、イエスの命令により異邦人への伝道に腐心した。
イエスの命令、それは新約聖書「マタイの福音書」の最後に書かれている。
ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。(マタイ28:19-20)
これを大宣教命令という。
この命令は現在進行形(いや、イエスの誕生を機に変化したのだから現在完了進行形か?)であって、この命令があるから300年代にはキリスト教がローマの国教になった。
この命令があるから、1500年代にイエズス会が日本に来た。明治時代にはプロテスタントの諸教会が日本で伝道した。
こうした歴史の上に私たちの今がある。
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パウロが今日の聖句で示したように、私たちは、イエスキリストという仲介人を通してイスラエルが受けた恵みに与かる。
そのとき、私たちが携えるべきは福音であり、福音とは、gospel=good news(良き知らせ)である。良き知らせとは何かと言えば、それはイエスがこの世に来られたこと、私たちの罪のために十字架につけられ死んで墓に葬られたこと、3日目に復活して天に上り今も生きておられることを指す。
異邦人である私たちが、共同の相続人になるとは、イスラエルの救いの約束に組み入れられることであり、このことを接ぎ木されると言ったりする。
聖句にある「同じからだに連なって」とは、まさにこの接ぎ木のことである。
福音を携え、信仰と恵みによって、神の救いの計画に接ぎ木していただこう。