聖書と歩む営業マンのblog

営業は大変な仕事だ。しかし聖書を読んで、売ることよりも仕えること、貰うよりも与えることを学ぶと、心が晴れる。

イースターの希望

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ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。ホサナ、いと高き所に。

マタイの福音書 21:9
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イースターペンテコステ・クリスマス。キリスト教の三大祭りである。

クリスマスは日にちが決まっているし、特に日本ではクリスチャンかどうかに関係なく誰もが祝うから完全に定着していると言っていい。

願わくは、クリスマスを通して一人でも多くの日本の方々が、神の存在に触れること、神に立ち返ることを願う。

一方、イースターペンテコステは年によって変動するからどうもわかりにくい。

2024年は、イースターが3月31日で、ペンテコステが5月19日となっている。それは、イースターが「春分の日の後の満月の直後の日曜日」と定義されているからであり、ペンテコステが「イースターから50日目の日曜日」と定められているからである。

それでもイースターは、おそらくDisneyのおかげだと思うが、日本でも馴染んできた感じがする。そういえば、イースターのモチーフとしてウサギやタマゴが使われる。多産や生命の象徴であるが、後付けなのかが気になって調べてみた。

すると、イースターバニーの起源は16世紀に遡ることがわかった。後付けとはいえ、それなりに歴史があるものであった。

さて、イースターはイエスキリストの復活を祝う復活祭であり、その直前の1週間を受難週と言う。

イスラエルの当時の祭りの習慣を知り、聖書を読むと、この1週間がどれほど重要かがわかる。曜日を追って並べてみる。

日曜日:棕櫚(しゅろ)の主日
月曜日:宮清め
火曜日:イエスの嘆き
水曜日:油注ぎ
木曜日:最後の晩餐
金曜日:受難日(裁判・十字架・埋葬)
土曜日:ローマ兵による墓の見張り
日曜日:復活

今日の聖句は、棕櫚(ナツメヤシ=Palm tree)の主日エルサレムの群衆が放った言葉である。群衆はエルサレムに入城されたイエスを歓迎し、棕櫚の葉を道に敷いた。

ホサナ!とは「主よ救ってください」の意で、ローマの支配下にあったユダヤの民が、イエスを政治的な王として崇め、自分たちを苦境から救い出してくれることを期待して、熱狂したのだ。

しかし、民衆の歓迎ムードはわずか1週間の間に急激に冷え込み、期待は失望に、熱狂は憎悪に変わってしまった。

ホサナ!と歓迎した人々が、その数日後には、十字架につけろ!と激しく訴えた。

ローマの支配から解放してくれる政治的な王としてのキリストではなく、人類の罪の贖いのため、自らを犠牲の献げものとして現れた宗教的な王であるキリストは、彼らには不要だったのだ。

いま、私たちは史実として、イエスキリストが神の御子としてこの世に来たこと、十字架で死んで墓に葬られたこと、そして3日目に墓から甦ったことを知っている。

いまを生きる私たちには新約聖書が与えられているから。

一方、ユダヤ教徒新約聖書を避けるため、実は2000年前のイスラエルと同じ状態がいまも続いている。ただ、少しずつではあるが、イエスこそ救い主であると信じているMessianic Jewsが増えていることは事実である。

ヨハネ福音書を読むと、イエスの弟子たちはイエスの死に際して逃げたりうろたえたりで、平静さを失っていた。しかし、二人のユダヤ人がイエスの亡骸を引き取り、丁寧に埋葬した。この二人こそ極初期のMessianic Jewsと言えよう。

少し長いがその箇所にあたるヨハネ福音書19章の39〜42節を引用する。

39.その後で、イエスの弟子であったが、ユダヤ人を恐れてそれを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取り降ろすことをピラトに願い出た。ピラトは許可を与えた。そこで彼はやって来て、イエスのからだを取り降ろした。

40.以前、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬と沈香を混ぜ合わせたものを、百リトラほど持ってやって来た。

41.彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料と一緒に亜麻布で巻いた。イエスが十字架につけられた場所には園があり、そこに、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。

42.その日はユダヤ人の備え日であり、その墓が近かったので、彼らはそこにイエスを納めた。

十字架刑の者の亡骸は野晒しにされるのが普通であるのに、木から引き下ろすことが許可されただけでも例外的。こうして二人の行為が記されていることで、イエスが墓に埋葬されたことが事実であると証明される。

それがなければ墓から甦ることはできず、預言は成就せず、ゆえに私たちの希望もなかった。

私たちの希望、それは復活の主に会うとき、ホサナ!と喜ぶことである。私たちは「望んでいることを確信し、まだ見ていない事実を確認する(ヘブル11:1)」ゆえ、希望を持ち続けることができる。

賛美しよう。

Hosanna

https://youtu.be/l2v9XCsfOEE?si=JKcCGKeB7MqGK-Ps

Hosanna, hosanna, hosanna in the highest.
Hosanna, hosanna, hosanna in the highest.
Lord, we lift up your name,
with hearts full of praise.
Be exalted, O Lord my God;
hosanna in the highest.