神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。
へブル人への手紙 4:12
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Amy Grantというクリスチャンシンガーの曲に”Thy Word”がある。
原曲よりも前に、日本語バージョン「あなたのみことばは」の方からこの曲を知っていた。礼拝で私たちプレイズチームが好んで演奏した曲でもある。
詩篇の言葉を引用したシンプルで力強い歌詞である。
あなたの御言葉はわが足のともしび
あなたの御言葉はわが道の光
暗闇に道を失い恐れるそのときに
主よあなたはそばに近づきわたしを励ます
計り知れないあなたの愛に心開くそのとき
主よあなたは御手を伸ばしわたしを導く
あなたの御言葉はわが足のともしび
あなたの御言葉はわが道の光
元の詩篇の箇所は「あなたのみことばは私の足のともしび、私の道の光です」(詩篇 119:105)だから、ほぼそのまま歌にしたことがわかる。
日本語賛美の動画を探したが、なかなかこれ!というのが見つからないので、Amy GrantのLiveバージョンのリンクを載せておく。
https://youtu.be/9OTVuGaiTsE
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今日のヘブル人への手紙のこの1節を読むと、いきなり「神のことばは生きていて力がある」と始まるから、語り手の圧というか、ほとばしりを感じる。
それは、続けて綴られている「鋭い剣で刺し貫き、心の中を見分ける」でますます強く迫ってくる。
いったい、神のことばが生きているとはどういうことか? 神のことばが鋭い剣のように差し貫くとはどういうことか?
2つの解釈があるかなと思う。
1つは、ヨハネの福音書の冒頭から。
「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた」
「ことば=イエスキリスト」と考えて間違いない。イエスは実際に生きていた(そして今も永遠に生きている)のだから、つまり、神のことばは生きているということになる。
もう1つは、神のことばを詰め込んだのが聖書で、聖書は昔も今もこれからも、この世に生きるすべての人に与えられ、その時々に相応しい示しを与えてくれる。
時代を越え、国境を越え、民族を越え、言葉を越え、、、そうして語り継がれ、読み継がれてきた。聖書こそ、まさに神のことばが生きていることを実感できる「場所」である。
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とはいえ、聖書は癒しの書ではない。
世界の始まりから人類の始まりが書かれた偉大な歴史書でもあり、詩や歌もあり、預言もあり、イエスが来られ、ペテロが、そしてパウロがローマ世界でキリスト教を広めていったその礎が記され、ヨハネの黙示録で幕を閉じる。
戦いの記録もあれば、堕落した民に対する厳しい裁きの記録もある。訓戒や警告もあるし、箴言なんて読めば読むほど自分がみじめになって辛くなったりもする。
それでも聖書には希望がある。未来がある。救いがある。そして、神の約束がある。
最後に。
コロサイ人への手紙の1節を紹介したい。
「キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい」(コロサイ3:16)
神のことばは、私たちの心をめぐり、心を整えてくださる。そのことに感謝し、そして期待しよう。