聖書と歩む営業マンのblog

営業は大変な仕事だ。しかし聖書を読んで、売ることよりも仕えること、貰うよりも与えることを学ぶと、心が晴れる。

福音とは

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なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。


ローマ人への手紙 10:9


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福音(Good News)とは良き知らせのこと。


私たちにとっての良き知らせとは、イエスキリストがこの世に来てくださったことである。


キリストはこの世に来られ、私たちの罪を贖うために十字架で死んで墓に葬られた。しかし、三日目によみがえり、天に昇られた。そして、いつか再び戻って来られる。


これを福音の三要素と言う。


パウロの言葉を引用しよう。


「私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。


そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。


私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。


キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです」


(コリント人への手紙 第一  15:2-5)



エスを主と告白する。


主、これはマスターのことで、ホテルの支配人とか管理人のような存在。


エスが自分の主、つまり、私を支配し管理するのがイエスということである。


他の誰でもなく、自分にとっての主であると確信すると、自分の主導権を明け渡すことができる。


と、言葉で書くとあっさりしてしまうが、イエスを自分の主である、支配者であると受け入れることを受け入れることが、難しかった。


明け渡してなるものか、自分の管理は自分でやるに決まっている、そう頑なになっていた。


そんな過去の自分を思い出して微笑ましく思えるほどに、ようやくなれた。



福音の三要素は奥深い。


私の罪のために十字架につけられ死んだ。このことを受け入れるだけでも苦しい。


そもそも自分の罪を認めること、認罪が怖い。しかし、認罪なくして贖罪はあり得ない。罪を認識するからこそ、それが赦されることが救いだと分かるからだ。


十字架刑を受けた罪人は、普通なら死んでも磔のまま野晒しになる。イエスはそうならず、十字架から降ろされ、墓に埋葬された。イエスは罪人ではないからだ。


死んで墓に葬られたイエスは三日目によみがえった。これは罪の結果として人間に与えられた死を克服した、ということである。


福音を受け入れよう。


エスを主と告白し、神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるならあなたは救われると、パウロがローマ人に語ったこの言葉を、そのままに。


救いの恵みを受け取ろう。