あなたの神、主を心に据えなさい。主があなたに富を築き上げる力を与えるのは、あなたの父祖たちに誓った契約を今日のように果たされるためである。
申命記 8:18
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旧約聖書の律法は、神がイスラエルの民と交わした契約だから、異邦人の私たちには適用されないという考え方がある。
本当だろうか?
十戒を紐解いてみる。
1.あなたにはわたしのほかにほかの神々があってはならない。
2.あなたは自分のために偶像を造ってはならない。
3.あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
4.安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
最初の4つは神と人との関係が記されている。4以外は異邦人クリスチャンの私たちにも有効である。
5.あなたの父と母を敬え。
6.殺してはならない。
7.姦淫してはならない。
8.盗んではならない。
9.あなたの隣人に偽りの証言をしてはならない。
10.あなたの隣人のものを欲しがってはならない。
後半の6つは人と人との関係である。これらはすべていまも有効である。
律法で最も有名な十戒ですら、このように異邦人に関係ないとは言えない。
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本来、十戒を含むモーセの律法はイスラエルの民に与えられたものだから異邦人には無関係だ。しかし、キリストが来てモーセの律法を無効にし、新しくキリストの律法が与えられた。
古い契約(旧約)から新しい契約(新約)への移行である。
新約時代に生きる私たちクリスチャンは、キリストの律法に従うように召されてる。それでも、私たちは十戒を蔑ろにすることなく大切にしている。
それは、十戒(第4戒を除いた9戒すべて)が、キリストの律法にも登場するからである。
キリストの律法とは、マルコの福音書12章29節にあるように「心・精神・知性すべてを尽くして神を愛すること、自分自身のように隣人を愛すること」というものだ。そして、この2つの教えは「モーセの律法(十戒)」の要約でもある。
キリストの律法は神を信じるすべての人が守るように教えられている。
パウロはこう語った。
キリストは、ご自分が私たちのために呪われた者となることで、私たちを律法の呪いから贖い出してくださいました。「木にかけられた者はみな、呪われている」と書いてあるからです。それは、アブラハムへの祝福がキリスト・イエスによって異邦人に及び、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるようになるためでした。(ガラテヤ3:13-14)
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さて申命記だ。
キリストの律法を守り、信仰によって御霊に導かれている私たちクリスチャンには祝福がある。
この「祝福」が実は厄介で、それを富の蓄積と考えれば金銭の奴隷になるし、それを受けるに値しないと卑下したら貧しさの奴隷になる。どちらに振れるでもなく、祝福には感謝で応答したいものだ。
今日取り上げた申命記の8章を丁寧に読み進めると、神が与えた祝福が昔もいまも変わらず注がれているのだなと思わせられる。
いくつか引用したい。
・人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。この四十年の間、あなたの衣服はすり切れず、あなたの足は腫れなかった。
・あなたの神、主があなたを良い地に導き入れようとしておられるからである。そこは、谷間と山に湧き出る水の流れや、泉と深い淵のある地、小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろのある地、オリーブ油と蜜のある地である。
・あなたが食べて満ち足りたとき、主がお与えくださった良い地について、あなたの神、主をほめたたえなければならない。
・あなたが食べて満ち足り、立派な家を建てて住み、あなたの牛や羊の群れが増え、銀や金が増し、あなたの所有物がみな豊かになって、あなたの心が高ぶり、あなたの神、主を忘れることがないように。
神からの祝福を得た私たちは心のうちで「私の力がこの富を築き上げたのだ」と言わないように気をつけなければならない。
キリストの律法に従い生きる私たちに与えられた祝福は、神から一方的かつ無条件に与えられたものだから、驕ることなく、卑下することなく、ただ感謝をもって受け取れたらと思う。