何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。
コロサイ人への手紙 3章23節
+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+
知らなかったが、彼は敬虔なクリスチャンであった。日本にいるときも、選手生活を終えてからも、いつも主とともに歩んでおられた。
彼が心に留めているいくつかのみことばを示し、それにまつわるエピソードや自分の考えを話してくれた。そのうちの1つが今日の聖句だ。マートン氏から聞くと、よく知っている聖句も違った印象を受けるから不思議だ。
スポーツ選手は心と身体を鍛える。自分との戦いである。けれど、自分にだけ関心が向いてはいけない。試合になるとそこには多くの観衆がいて、ホームランを放てばともに喜び、三振に終わればともに落胆する。選手もそれに応えるし、その一体感こそプロスポーツの醍醐味といえる。ファンがいなければプロの世界は成り立たない。
見られることを意識するのはプロであるなら当然のことである。
主とともに歩むマートン氏にとっては、試合であっても「主とともに」を実践した。愛用のリストバンドには聖句が書かれており、ある年は「Believe」、またある年は「ヨハネ3:16」であった。
*
人に対してではなく、主に対してするように…。
コロサイ人への手紙3章はこう始まる。
こういうわけで、あなたがたはキリストとともによみがえらせられたのなら、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。(3:1)
このように3章のテーマは「よみがえらされた私たち」である。私たちがキリストとともによみがえらされた者として、どのように生きていくのか、今日の聖句である23節に至るまでに、かなり具体的にいくつも示されている。列挙しよう。
・淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像崇拝です。(3:5)
・怒り、憤り、悪意、ののしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを捨てなさい。(3:8)
・あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。(3:12)
・互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。(3:13)
・キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。(3:16)
・妻たちよ、主にあるものにふさわしく、夫に従いなさい。(3:18)
・夫たちよ、妻を愛しなさい。妻に対して辛く当たってはいけません。(3:19)
・子どもたちよ、すべてのことについて両親に従いなさい。それは主に喜ばれることなのです。(3:20)
・父たちよ、子どもたちを苛立たせてはいけません。その子たちが意欲を失わないようにするためです。(3:21)
そして「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい(3:23)」に続くのである。
*
これらの具体的なことを、私たちはよみがえらせられた者として実践する。
と言われても、はいわかりました!となかなか言い切れるものではない。だからこそ、そうできるように祈るのだけど。
主に対してするように行うとは、言い換えればWWJD、つまりWhat would Jesus do?(イエスならどうする?)と自らに問うて行動する、ということではないか。
妻に辛く当たってはならない、愛さねばならないと、聖書に書いてあることをまるでルールブックや戒律かのように取り扱うのはまったくもってナンセンスだ。
そうではなく、神の前に正しいと思うことを自然な振る舞いとして行いたい。
今日の聖句の続きはこうある。
あなたがたは、主から報いとして御国を受け継ぐことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。(3:24)
人に対してではなく、主に対してするように。人に気に入られるためではなく、イエスならどうするだろうと、神視点で考えられるように。人に仕えるのではなく、キリストに仕えるように。