二人は一人よりもまさっている。二人の労苦には、良い報いがあるからだ。
伝道者の書 4:9
+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+
二人は一人に勝る。
ここで言う二人を男女の夫婦と見るかどうかについては、いまの時代、意見が分かれるだろう。
それを理解しつつ、私自身は、いまこの聖句を自分たち夫婦のこととして受け取っている。
創世記の冒頭にこうある。
また、神である主は言われた。「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう」(中略)それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。(創世記 2:18・24)
この聖句が根拠である。
LGBTを聖書的にどう捉えるかについては、キリスト教界でも意見がまとまっていない。私自身も詳しい方の話を聞いたりしながら、どのように理解し適用したらいいのか模索している。
難しいよね、よくわからないよねと、他人事みたいにせず、現実にはちゃんと向き合いたい、そのための適切な知恵が与えられることを願っている。
*
さて、どうしてこの聖句を取り上げたのかというと、先日、妻の誕生日を祝ったからである。
夫婦関係を20年以上も続けていると、誕生日のときくらいしか何かを贈ったり、祝ったりする機会がない。
もちろんそうじゃない夫婦も世の中にはたくさんいるだろうけど、せめて誕生日くらいはこの世に生まれてきたこと、二人が出会ったこと、健康が守られていること、子どもが与えられたこと、何より夫婦関係が保たれていることを神に感謝したいと思う。
プレゼントはもっぱらアパレルが多くて、この季節だからTシャツやブラウス、ワンピースなんかが多い。今年もサラッと着られる少し丈が長めなアースカラーのTシャツにした。やはり普段使いできるものがいい。
これまでの歩みに感謝しつつ、と同時に、二人が重ねてきた労苦を思い出す。
すぐに思い出されるのは今から12年前のこと。二人にとって辛くて悲しいことが連続して、心が塞いだ。苦しかった。
それらの1つ1つは、それぞれが私たちに大きなダメージを与えた。立て続けに起こったことにはなんらかの意味があるのだろう。そのときはまったく余裕がなかったが、今はそう思える。
*
脱出の道を備えてくださる神が、私たちに良い報いを与えてくださった。
パウロが言っている。
あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。(第一コリント10:13)
もうムリ、もうダメと、そのときは潰れそうになる。しかし、私たちには与えられたみことばがある。試練の先には脱出の道がある、良い報いがあることを知っている。
また「苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す(ローマ5:3-4)」ことも知っている。
最後に今日の聖句の続きを記しておこう。
どちらかが倒れるときには、一人がその仲間を起こす。倒れても起こしてくれる者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。また、二人が一緒に寝ると温かくなる。一人ではどうして温かくなるだろうか。一人なら打ち負かされても、二人なら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。(4:10-12)
三つ撚りの糸、とある。一人、二人、そして三人。三人目とは? それは主なる神である。神とともに歩む道のりは簡単に途絶えることがない。
感謝だ。