見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。
ヨハネの黙示録 21:3-4
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少し長いが、天における御使いの宣言を全て口にしたいので、すべて引用する。
創世記から始まる聖書は、ヨハネの黙示録22章でフィナーレを迎える。
神によって創られた天地が、千年間のメシア的王国を経て、最後には新しい天地に再創造される。
ヨハネの黙示録は、そのほとんどが千年王国が始まる前に起こる患難時代の記述にページを割いている。聖書を読んだことがない人でも聞いたことがあったり、恐怖心を強く持ったりするのは、たいていこの時代の記述の恐ろしさによる。
7年間続く患難の時代は(かの有名な?)ハルマゲドンの戦いのときに、ユダヤ人が悔い改め、イエスキリストが再臨し、サタンが敗北することでようやく終わる。
そう、最後にサタンは敗北し、キリストが勝利するのだ。
それを語らずに、恐怖を殊更に取り出して煽るのはよくない。キリストを私の救い主と受け入れた者は、患難時代が始まる前に天に挙げられると書いてある通り、恐怖を経験することがないからだ。
さらに、たとえ患難があっても、それは7年で終結するのだし、キリストの再臨によってメシアが治める王国が千年続くのだし、その後、新しい天と新しい地が創造され、永遠に神の国が続くのだ。
黙示録は絶望や苦しみのメッセージではなく、喜びと希望のメッセージなのである。
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2年間に渡って続けてきた聖書塾での学びも、9月末に最後のレポートを提出して終了した。
月2本のレポート×24か月で、計48本のレポートを提出した。1本のレポートにつき、5題の設問があるから、答えた設問数は240題にも上る。
時間管理が上手くない上に飽き性の自分が、よくここまでやってこれたなと、達成感を味わうよりも、ただただ継続できたことに安心している。驚きと感謝の気持ちである。
祈ってきたし、祈られてきた。教会の方々も応援してくれたし、家族のサポートもあった。今月はもう無理かなと思うときも、レポート頑張って! と何度も背中を押してもらった。
決して自分一人では、自分の力だけでは成し遂げられなかった。
特に、ラスト数ヶ月は「終末論」に突入し、難解な黙示録と格闘した。黙示録のゴールは、新しい天と地の創造であり、永遠のいのちである。聖書のフィナーレが希望でよかった。暗闇ではなく光でよかった。
光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。(ヨハネ1:5)
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新しい天と地では、悲しみや苦しみがない。そして、死がない。
死は、アダムとエバが罪を犯したことで与えられたサタンの呪いであり、サタンが敗北した世では死はもはや存在しない。
神とともに永遠に生きる。
ラブソングでは、たやすく永遠の愛を歌うが、永遠の愛とは、神の存在そのものである。人間の愛は移ろいやすく有限であるが、神の愛は変わることなく無限である。
このような人生観というか、世界観を持つことができるのもクリスチャンの特権だと思う。
「永遠にあなたと」という賛美がある。シンプルでとても力強い曲で、歌っていると、腹の底から感謝と信仰が湧き上がってくる。
学びを終えて、いまこの曲を賛美し、神に栄光を帰したい。