よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。
マタイの福音書 25章21節
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有名なタラントのたとえ。
タラントは通貨の単位として用いられていたが、人それぞれの才能に応じて与えられたことから、才能そのものを表すようになった。タラントとは、タレントのことである。
日本でタレントというと芸能人を指すが、タレントとはそもそも他にはない独自の才能や能力のことであり、それらを持つ人のことである。
ただ、もう一歩踏み込んで、聖書的に考えてみたい。
でないと、タレントはその人に見合うように与えられた才能や能力のことで、そこには個人差があるのだから、優劣があるのは当たり前、のような考えに傾く危険性があるからである。
私たちは、目に見える才能や能力に留まらず、神から授けられた霊的な賜物にも目を向けるようにしたい。
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ある主人が旅に出るに際して、自分の財産をしもべたちに分け与えた。
ある者には5タラント、またある者には2タラント、そして1タラントを渡し、そして旅に出かけた。
5タラントをもらった者は商売をしてもう5タラント儲けた。同様に、2タラントもらった者もさらに2タラント儲けた。しかし、1タラントもらった者は地面を掘ってその金を埋めた。
さて、主人が旅から戻ってきた。
主人は5タラントを倍の10タラントにしたしもべ、そして2タラントを倍の4タラントにしたしもべを大いに褒めた。
その褒め言葉が今日の聖句である。
一方、1タラントを1タラントのまま隠していたしもべには、せめて銀行に預けておけば利息もあったのにそれすらしない怠け者であるとひどく憤った。そしてその1タラントを10タラント持っているしもべに与えた。
これが、持っている者はますます与えられ豊かになり、持たない者は持っているものまで取り上げられる、という天国のルールである。
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現実の生活に適用する前に、1つ引っかかっていることを解消しておきたい。
それは、主人が言った「わずかな物に忠実だったから」の、わずかな物とは何であるか? である。
これを、その人に応じて与えられた才能や能力と考えてしまうと、スタートの時点で大きな差が付いてしまい、人間の努力は虚しいものになってしまう。
神は、人間に自由意思を与え、自ら考え選び取ることができるようデザインしたはずではないか。
神は、私たちに最もフィットする賜物を無条件で与えており、そこに差別はないのだ。
わずかな物とは、才能でも能力でもなく、また神からいただいている賜物でもなく、私たちが持っている信仰のことである。
私たちがたとえわずかな信仰心しか持ち合わせていなくても、それに忠実に、最大限に活用することで、神は喜びとともにさらに多くのものを分かち合ってくださる。
今日のたとえは、私たちが分相応に生きることの大切さを説いているのではなく、私たちが神から与えられた賜物を活かして、神に喜ばれる生き方をしよう!というのが結論である。
職場でも家庭でも地域社会でも、どんな場所においても、神に喜ばれる生き方とは? そのことを自問しつつ歩んでいきたい。
天国に行ったら、神さまから「よくやった、忠実なしもべだ!」と褒められたいものだ。