よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。
マタイの福音書 25:21
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タラントのたとえ。
イエスの例話の中で最も有名なものの1つである。本来なら、この例話に出てくる人物や場面を説明して、その上で教訓を述べた方がいいだろう。
しかし、今回は前後のストーリーを詳しく見ることなく、この聖句だけを凝視してみたい。短い聖句だけど、大切なことがたくさん詰まっているから。
とはいえ、この聖句の理解を助けるために、1つだけ別の聖句を紹介しておく。
最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり、最も小さなことに不忠実な人は、大きなことにも不忠実です。
(ルカ16:10)
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この世での旅路を終え、天に召されるとき、私たちは神の御前に立つ。
そのとき神から「よくやった。良い忠実なしもべだ」と言われたい。
言われたらどうなるだろう。
感無量なんてレベルではないレベルで感激し、むせび泣くだろう。いや、そもそも想像なんてできない。
それでも言われたい気持ちに変わりはない。
子どもの頃、親や先生に「よくやったね」と褒められて素直に喜んだときのような純粋さで、その場に立ちたいと思う。
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さて、神が「よくやった」と褒めてくださるには理由がある。
それは、わずかなこと、小さなことに忠実だったことである。私たちはともすると、自分では背負い切れないと思うような困難や試練に心が折れそうになる。
しかし、それは神が私たちの信仰と行いを見て、多くのことを任せてくださっているということ。乗り越えられない試練ではないのだ。
聖句の結びに書いてある。「喜びをともに喜んでくれ」と。
多くのことを任せてもらっている私たちを見て、神は喜ばれるのだ。さらに、神の喜びをともに喜んでいいなんて、なんという祝福だろう。
私たちは、人に見られていることや、成果が出やすいこと、大きな結果が得られること、そうしたことに心が奪われがちだ。
でもそうじゃなく、些細なことでも丁寧に…。
ってググってみたら、まんまタイトルの本があって驚いた。
https://www.oreilly.co.jp//books/9784873119892/