聖書と歩む営業マンのblog

営業は大変な仕事だ。しかし聖書を読んで、売ることよりも仕えること、貰うよりも与えることを学ぶと、心が晴れる。

蜜と希望

f:id:songchi0326:20230705203416j:image

知恵もあなたのたましいには同じだと知れ。それを見つけるなら、あなたには将来があり、あなたの望みが断たれることはない。
 
箴言 24:14
 
+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+
 
honeyとhope。
 
この2つのワードから今日の聖句を選んだ。どうしてか?
 
カナダに半年間留学していた娘が帰ってきた。カナダといえばメイプルシロップ=honey、そして留学といえば将来を描く=hope、だからだ。
 
…なんとも安直な理由ではあるが、箴言のこの聖句は蜜だけに味わい深いものがある。
 
ただ、残念ながら新改訳はわかりにくい。1つ前の13節から続けて読んで、ようやく意味が通じる。
 
わが子よ、蜜を食べよ。それはおいしい。蜂の巣の蜜はあなたの口に甘い。知恵もあなたのたましいには同じだと知れ。それを見つけるなら、あなたには将来があり、あなたの望みが断たれることはない。(新改訳2017)
 
それでも日本語訳がかたい。
 
そこで、私が20代の頃に慣れ親しんだ新共同訳を見てみよう。
 
わが子よ、蜜を食べてみよ、それは美味だ。 滴る蜜は口に甘い。 そのように、魂にとって知恵は美味だと知れ。 それを見いだすなら、確かに未来はある。 あなたの希望が断たれることはない。(新共同訳‬)
 
この方がいい。
 

 
この聖句を通して、知恵は蜜にたとえられ、それは蜜のように甘くて美味しいと言われる。
 
そして知恵を見い出したならば、希望が断たれることがないとある。
 
蜜といえば、ヨナタンを思い出す。


しかし、ヨナタンは、父が兵たちに誓わせたことを聞いていなかった。彼は手にあった杖の先を伸ばして、蜜蜂の巣に浸し、それを手に付けて口に入れた。すると彼の目が輝いた。
(サムエル記 第一 14:27)


蜜を口にしたヨナタンの目が輝いた。これは疲労困憊していたヨナタンが正気を取り戻したことを表している。
 
この場面で描かれていることは事実であるが、ヨナタンが杖の先に蜜をつけてそれを口に入れると元気百倍になることを、今日の箴言の聖句に適用したい。
 

 
いくつかの気付きを箇条書きにしておこう。
 
・蜜はすぐそこにある → 知恵(神のことば)はいつもすぐそばにある
・蜜は甘い → 知恵によってたましいが喜ぶ
・杖の先を伸ばして蜜をとる → 信仰の杖を伸ばして知恵を見つける
・蜜を食べると目が輝く → 知恵を見い出すと希望を失わない
 
カナダに留学した娘は、ホストファミリーとの関係が上手くいかず、1か月ほどでホストを変更した。その新しいホストファミリーは、カナダで娘が通ってくれたらいいなと祈ってきた教会のメンバーであった。
 
しかも、彼らには娘と同じ年齢の高校生の女の子がいて、その子のために日本人のクリスチャンと友だちになれるよう祈ってきたというのだ。なんとも驚くべきことである。
 
新しい環境を手に入れた娘は、蜜をたくさん食べ(文字通り、笑)、みことばの糧(=知恵)をたくさん蓄え、そして将来の希望を抱いて帰ってきた。
 
honeyとhope、それは切っても切れない関係。わが家にとって特別な聖句の1つになった。