こう言ってから、イエスは使徒たちが見ている間に上げられた。そして雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった。
使徒の働き 1:9
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キリスト教3大行事の1つ、ペンテコステ(聖霊降臨日)の10日前。
キリストが昇天された日である。
十字架で死に3日後に復活、これがイースター。復活したイエスは40日間、地上におられた。そして天に昇られた、これが昇天。その10日後に聖霊が降った、これがペンテコステで、イエスが復活してから50日後のことである。
昇天は、イースターとペンテコステに挟まれていて、しかも聖書の記述もあっさりだから、結構気にせずサラッと読んでしまいがちだ。
今日掲げた使途の働き1:9と、ルカの福音書に少し記述がある。
それからイエスは、弟子たちをベタニアの近くまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らから離れて行き、天に上げられた。(ルカ24:50-51)
この2箇所だけだ。
使途の働きも、ルカの福音書も著者は同じルカであるから、ルカの証言によって、私たちはキリストが突然消えたのではなく、徐々に上げられ見えなくなった。つまり、物理的な移動をもって天に昇られたことを知る。
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ルカの福音書は、昇天の記述の直後に「彼らはイエスを礼拝した後、大きな喜びとともにエルサレムに帰り、いつも神をほめたたえていた」と結んで、終える。
興味深いのは、ルカの福音書は、イエスの誕生の出来事をこう書いていること。
御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます」(ルカ2:10)
つまり、ルカの福音書は、大きな喜びに始まり、大きな喜びで終えているのだ。イエスが誕生されたことで、大きな喜びを得る。そして、イエスが昇天されたことでも、大きな喜びを得る。
ユダヤの民も、イエスの弟子たちも、大きな喜びを得て、ずっと大きな喜びを持ち続けたわけではない。その間には、イエスを信じることなく疑ったり、裏切ったり、恐れや不安に陥ったりしてきたのだ。
でも、最後にまた大きな喜びを得たのである。
その喜びは、現在進行形。
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今回取り上げたわずか1行。
何度も読み返していると、絵画的な表現だと思わされる。
ルカは医者だから、描写するのが上手いのは分かる。それにしても、このイエスが昇天するシーンの描き方はいい。福音書の昇天の描き方よりも断然いい。
目の前で上げられ、雲がイエスを包み、そして目に見えなくなった。
イエスが天に上げられたことをもって、イエスの地上での務めは終わった、そう、完成した。
次は?
再臨である。
再臨については、イエスが見えなくなってもなお、弟子たちが天を見つめているとき、2人の天使がこう告げている。
「天に上げられたイエスは、天に上っていくのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります」と。
再臨の約束である。
こうして再臨を待ち望む私たちもまた、大きな喜びを得ている。