そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。
ヨハネの福音書 14:16
+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+
イースターがキリスト教の三大行事の1つということを、以前ここで書いた。
三大行事とは、クリスマスとイースター、そして今日取り上げるペンテコステの3つである。
おそらく3つの中で最も馴染みがないのがペンテコステだろう。私もキリスト教を知るまでは、聞いたこともなかった。
ペンテコステは、日本語では「聖霊降臨」と訳される。訳されると書いたが、実は正しくない。正しくは五旬節と言う。が、五旬節と聞いても、それ何ですか?って状態になる。
私も詳しいわけではないが、イースターから7週間後、つまり7×7=49日に1日を足した50日後のお祝いを五旬節と言うそうだ。
5はギリシア語でペンタと言って、それがペンテコステの語源らしい。米国防総省のペンタゴンとか、カメラのペンタックスとか、ギター奏法のペンタトニックとか、すべて5に関係する。ペンテコステの由来はペンタでした。
では、聖霊が降臨したことを祝うペンテコステにおいて、一番大切、なのによく分からない聖霊のことを考えてみよう。
*
キリスト教を知り、聖書を読み、理解が一番難しかったのが聖霊だ。
知識としては分かる。三位一体はクリスチャンじゃなくても認知されているし、それが父なる神、子なるイエス、そして聖霊であることも知られているだろう。
旧約聖書を読めば、父なる神が歴史を導いていることが、新約聖書を読めば、子なるイエスが人間となってこの世に来られたことが書いてある。
聖霊のことも書かれているのだが、概念的というか、イメージが先行してしまい、なかなか理解が追いつかない。
しかしあるとき腑に落ちた。
聖霊は何かふわふわとした捉えようのない概念的なものではなく、知情意のすべてを持った、人格を備えた方である、ということが。
*
聖書に出てくる聖霊は、私たちを導くときもあれば、私たちの内面を満たすときもある。
イエスは聖霊に導かれて荒野の試練に遭われたし、ペンテコステのときペテロは聖霊に満たされて大胆に語った。
聖書からいくつか引用しておきたい。
その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられる。
(ヨハネ14:17)
これはイエスの言葉。
御霊があなたがたのうちに住んでおられる。
(ローマ8:9)
これはパウロの言葉。
ともに聖霊に満たされるとは、聖霊が私たちの中にいる(内在化)ことである。パウロは別の箇所でさらにこう言っている。
あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
(1コリ6:19)
私の知情意は、内在化した聖霊によって形成されると思えば、祝福を感じるだろう。
そして内在した聖霊が、私たちを進むべきところに導いてくださる。聖霊のはたらきを祈り求めて、聖霊の導きに委ねていきたい。
聖霊は私たちの助け主、いつもともにいてくださる。