聖書と歩む営業マンのblog

営業は大変な仕事だ。しかし聖書を読んで、売ることよりも仕えること、貰うよりも与えることを学ぶと、心が晴れる。

神の褒めことば

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よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。

マタイの福音書 25:23
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よくやった!と褒められると嬉しいものだ。

子どもの頃なら、それはテストで100点を取るとか、大会で優勝するとか、そうした何らかの行為に対する結果が優れていたときに、周りの大人からかけられる言葉である。

褒められたときの子どもの達成感に満ちた表情はいいものだ。

もちろん100点じゃなくても、優勝じゃなくても、プロセスを認めてあげることは大切だし、努力に対して、よくやった!と褒めることは、子どもの健全な教育には必要不可欠だと思う。

大人になると褒められることはグッと減る。

おめでとう!素晴らしい!と言われることがあっても、子どもの頃のように素直に喜べないことだってあるだろう。

よくやった!と言われたときに子どもが見せる笑顔は、ただその結果が嬉しかったからだけではなく、そのことを通して自分が認められたこと、自分の存在を全面的に肯定してくれたことに対する安堵や歓喜から来る。

さて、今日の聖句は、イエスの「タラントのたとえ話」に出てくる1節で、与えられたタラント(財産)を用いて、主人が長旅に出ている間に財産を増やしたしもべに対して主人が言った言葉である。

実際は「よくやった!」と言われたのは、3人のうち2人のしもべであり、褒められなかった1人は、預かった財産を適切に運用することなく、地中に埋めて隠していた。

そのしもべに対して主人は厳しい言葉を投げつける。長いが引用しよう。

悪い怠け者のしもべだ。私が蒔かなかったところから刈り取り、散らさなかったところからかき集めると分かっていたというのか。それなら、おまえは私の金を銀行に預けておくべきだった。そうすれば、私が帰って来たとき、私の物を利息とともに返してもらえたのに。だから、そのタラントを彼から取り上げて、十タラント持っている者に与えよ。だれでも持っている者は与えられてもっと豊かになり、持っていない者は持っている物までも取り上げられるのだ。(25:26-29)

厳しいが、これが神の国の原則だ。

良い忠実なしもべに対して、悪い怠け者のしもべと言われる。持っている者はより与えられて豊かになるのに、持っていない者は持っているものまで取り上げられてしまう。

私たちは、神から預けられた財産(与えられた賜物)を適切に運用していくことが求められているのだ。

クリスチャンなら、誰もが天国に行ったときに主からこの言葉を聞きたい!と切望する。

この世で忠実なしもべとして生かされたことに対する神の褒め言葉として「よくやった!」と言われたい。全面的に受け入れてくださったことを喜びたい。

100%神に褒められる生き方をしてきたわけじゃないけれど、あなたに従い生きてきました。聖書に忠実な生き方をしてきたわけじゃないけれど、あなたを愛し生きてきました。

そうして神に褒められたい。

神は、私たち1人ひとりをちゃんと名前をもって認識してくださる。私という、ほんの小さな1人の存在を知ってくださる。

よくやった、良い忠実なしもべだ。

いつか天国で。