聖書と歩む営業マンのblog

営業は大変な仕事だ。しかし聖書を読んで、売ることよりも仕えること、貰うよりも与えることを学ぶと、心が晴れる。

へりくだれ

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何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。


ピリピ人への手紙 2:3


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向こう10年の業界でのポジションを決定付けるであろう新商品が、この春いよいよ発売となる。


そのための商品研修を今日から3日間実施する。


全国40人の営業員に対して行なう研修で、いつもなら全国の営業所を行脚して、対面で行なうところ、イマドキそんな移動を伴うリアルの研修は考えられず、すべてオンラインである。

 

オンラインは移動しなくてもいいという最大のメリットと引き換えに、その場で空気を共有できないのが最大のデメリットである。各地の仲間と直接顔を合わせ、そして語らう楽しみがないのは本当に残念だ。


オンライン研修は、主催側が一方的に話してしまいがち。そうすると参加者は完全に聴衆になり、しかも大人数が一度にログインするため音声も動画もミュートにしており、反応がまったくわからない。


よって、適度に発言を促すよう指名することが必須である。発言しにくい場合はチャット機能を使うのもいい。


こうして、研修をオンラインで実施するイメージを具体的にしながら、各地の営業員の顔を思い浮かべる。


すると、ここでこの人に発言してもらうと場が盛り上がるなとか、この機能についてはあの人に補足説明してもらうと初心者でも分かりやすいなとか、いろんなアイデアが出てくる。


しかし、だ。


具体的にイメージすればするほど、ある怖さも同時に感じる。



それは何か。


2つある。


1つは自分の自惚れや傲慢さ、もう1つは怒りや苛立ち、である。


今回の新商品を成功させねば!の想いが強すぎて、口調(語調)が強くなりすぎないか?


現にこの原稿を書きながら熱くなっていることを自覚している。湧き上がる熱を適切に変換できるだろうか。傲慢にならないだろうか。


さらに、自分が熱心にやっているのに、参加する営業員が全員、前向きに参加するとは考えられず、それに気付いたときに怒りの感情に支配されやしないか?


イラついたり、ぞんざいな態度を示したりしないだろうか。


こうした恐れが、ある。


祈るしかないのだ。



2つに分けて記したが、実は根っこは同じだ。


パウロはリーダーシップをよく分かっている。リーダーに潜む利己心や虚栄心のことを。


恐れも、不安も、怒りも、自惚れも、すべてそこから発生するものだ。


自分は何者だ? それをわきまえることなく振る舞えば、セルフィッシュ、そうただの自分勝手な人間になってしまう。


明確な処方箋、それは「へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい」と、書いてある通り、Be a servant! である。


あぁ神さま、どうぞセルフィッシュなリーダーとしてではなく、サーバントなリーダーとして振る舞えるようにしてください。