聖書と歩む営業マンのblog

営業は大変な仕事だ。しかし聖書を読んで、売ることよりも仕えること、貰うよりも与えることを学ぶと、心が晴れる。

我は聖霊を信ず

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しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。


ヨハネ福音書 14:26


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ひと頃スピリチュアルブームがあった。


今はどうなんだろう。ブームが終わったのか、それとも占いのように日常に溶け込んでしまったのか。


あのブームのおかげというか、あのせいで、目に見えない霊に対する認識は高まった。高まったのはいいが、はたして正しく認識してるかどうかは、また別問題である。


見えるものしか信じない現代の風潮にあって、目に見えないものを信じることができるだろうか。


見えないものを信じることは、弱き者、愚かな者だろうか。


三位一体の神において、父なる神と聖霊なる神を、私たちは見ることができない。唯一、子なる神であるイエスキリストだけが、人となってこの世に来られたおかげで、実際に見ることができた。


そのイエスが父なる神のことを証しし、聖霊の存在を明言しているのだから、私たちはそれを信じる。


ほとんどのクリスチャンが唱える使徒信条において、「我は父を信ず。我はイエスキリストを信ず。我は聖霊を信ず」と信仰を告白している。



前回取り上げたイエスの昇天の場面で、イエスは弟子たちに「わたしは、わたしの父が約束されたものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高きところから力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい」と言われた。


この「父が約束されたもの」が聖霊である。


弟子たちはそれを受け取ることができたのか? イエスの言葉を借りれば「力を着せられ」たのか?


話の続きは、使徒の働きに載っている。


五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。すると、天から突然、激しい風が吹いてきたような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろな言葉で話し始めた。(使徒2:1-4)


このことを記念し、三大記念日の1つ、ペンテコステ聖霊降臨日)として今もお祝いしている。


こうして、弟子たちは天からの力を着せられた。初代の使徒聖霊を受けて宣教したからこそ、キリスト教の土台が確固たるものになった。その土台の上に、現代の私たちも立っている。



聖霊の働き、役割とはなんだろう。


それもイエスが述べておられる。箇条書きにしておく。


◎あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださる。


と、今日の聖句にある。


他にも


◎あなたがたを真理に導いてくださる。


◎自分から語るのではなく、聞いたことを語り、これから起こることを伝えてくれる。


◎罪について、義について、裁きについて、世の誤りを明らかになさる。


このように聖霊は、私たちを外面でサポートするばかりか、内面からの支えにもなってくれる。


聖書には、聖霊のことを助け主や慰め主とも書いている。人生の道先案内人みたいなものだ。しかも、ただ案内するだけでなく、その時々に必要な知恵や力を与えてくれたりもする。


目に見えない聖霊によって、私たちは日々の歩みを確かにされている。たとえ、いま目の前に広がる現状にそれを感じることができなかったとしても、振り返って自分が歩んできた道のりを思い起こしてみれば、確かに聖霊が働いていたこと、助けてくれたこと、導いてくださったことを感じるはずだ。


我は聖霊を信ず。