聖書と歩む営業マンのblog

営業は大変な仕事だ。しかし聖書を読んで、売ることよりも仕えること、貰うよりも与えることを学ぶと、心が晴れる。

天の父よ

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同じように、夫たちよ、妻が自分より弱い器であることを理解して妻とともに暮らしなさい。また、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。そうすれば、あなたがたの祈りは妨げられません。
 
ペテロの手紙 第一 3:7
 
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先日の日曜日は父の日だった。
 
田舎の父に何を贈ろうか、結構真剣に悩んで、せっかくなら父も母も喜んでくれるようなものがいいなと思い至り、それなら和菓子がいいだろうと煎餅、饅頭、最中、どら焼き...とあれこれ物色した挙句、虎屋の羊羹に決めた。
 
これが思いのほか好評で、一口サイズだから、夕食の後のデザートにピッタリだと喜んでもらえた。よかった。
 
この世では、私の父は一人である。同様に、うちの子どもにとっては私がたった一人の父だ。また、父であると同時に、妻にとっては私がたった一人の夫でもある。父としてとか、夫としてとか、殊更に考えないようにしているが、確実に役割は異なる。
 
今日の聖句では、ペテロが良好な夫婦関係を築くための勧めをしてくれている。
 
心に沁みるのは、夫婦とは「いのちの恵みをともに受け継ぐ」(つまり相続人)存在であるということだ。これは、神が創世記で「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、相応しい助け手を造ろう」と言われ、「男はその父と母を離れ、その妻と結ばれ、二人は一体となるのである」と言われたことと繋がる。
 
良好な夫婦関係を保つことは、子どもの健全な育成に不可欠だと思う。父としての厳しさとか揺るぎなさとか、意識して示さずとも、子どもには伝わるはずだから。
 

 
さて、私たちクリスチャンは、祈るときは最初に必ず、「天の父なる神よ」と呼びかける。
 
祈りの作法については、イエスがはっきりと教えてくれている。マタイの福音書6章にはこう書いてある。
 
ですから、あなたがたはこう祈りなさい。


天にいます私たちの父よ。
御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。
みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
私たちの負い目をお赦しください。
私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。
 
これは「主の祈り」として、古今東西、すべてのクリスチャンが唱える基本中の基本の祈りである。
 

 
使徒パウロもまた、ローマ人への手紙8章で述べている。


神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。


そういえば、ハングルの子ども言葉では、お父さんのことを「アッパ」と言う。アバとアッパ、関係があるかもしれない。
 
最後に、素朴な疑問として、神のことをどうして母ではなく父と呼ぶのか。母なる大地とか母なる海とか言うのに、母なる神と言わないのはなぜか。
 
これについては、ハーベストの中川健一先生が分かりやすく解説している。
 
https://seishonyumon.com/movie/1686/
 
なるほど、女神は、豊穣→多産→多神教→偶像礼拝と繋がるからNGなのか。
 
さぁ今日も天を仰いで「父なる神よ」と呼びかけよう。