神よ、私を探り、私の心を知ってください。
私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
詩篇 139:23
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診療台の上に仰向けに寝ている。
私を覆うものは何もない。何も身に付けず、無防備に横たわっている。
音はない。空気を支配するのは、ただ静寂だけ。
一点の光が見える。
それは筋状ではなく、まるでタイのコムローイのように、ゆらゆらと漂う球状のものだ。
その光のボールが、私の頭や手足、体軀を周り巡っている。
無抵抗な私は、抗うことなどできず、その動きを感じることしかできない。
…と、ここで描いたのが、神が私を探っているイメージだ。
*
全篇に、ダビデの神への信頼と賛美が満ちている美しい歌である。
羊飼いの少年に過ぎなかった少年が、油注ぎを受け、イスラエルの王になる。地位も名誉も全て手に入れるが、姦淫や殺人の罪を犯す。妻の嘲りを受け、息子に裏切られる。
こうして人生の酸いも甘いも知り尽くしたダビデが、無防備に、無抵抗に、神の一方的な愛に感謝し、栄光を神に帰しているのが、詩篇139篇だ。
書き出しはこうだ。
主よ、あなたは私を探り、知っておられます。
あなたは、私の座るのも立つのも知っておられ
遠くから私の思いを読み取られます。
あなたは、私が歩くのも伏すのも見守り
私の道のすべてを知り抜いておられます。
ダビデもまた診療台の上にいる。
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神は私の心のすべてをご存知である。
毎日味わう喜びも悲しみも、嬉しさも寂しさも、高揚感も絶望感も、歓喜も思い煩いも、すべて。
神の前で、我力で生きようなんて思い上がりも甚だしい。
建築家が、自分の手がけた建築物を隅から隅まで知り尽くしているように、私たちを創られた神は私たちを知り尽くしている。
私たちは皆、診療台の上にいるのだ。
最後に、使徒パウロが、ローマ人への手紙 11:36に記した祈りで、締め括ろう。
すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。