聖書と歩む営業マンのblog

営業は大変な仕事だ。しかし聖書を読んで、売ることよりも仕えること、貰うよりも与えることを学ぶと、心が晴れる。

神の武具

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悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。


エペソ人への手紙 6:11


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悪の存在は、クリスチャンになって知った。


そして、クリスチャンになると、さらに強い攻撃に晒されることも知った。


見た目に恐ろしい人が目の前に現れて攻めてくるとか、そういうことではなく、ときに同僚や友人を通して、あるいは自分の心の中に忍び寄る声として現れる。


そんなときどうしたらいいのか。


悪の策略(devil's scheme…スキームって枠組みという意味だが、陰謀なんて意味もある)に打ち勝つにはどうしたらいいか。


その答えがエペソ6章に綴られている。


神の武具を身に着けることだ。



神の武具は全部で6種類ある。


当時のローマ兵の武具に見立てて、帯、胸当て、履物、盾、兜、剣の6つである。


まず最初に、真理の帯を締める。


悪魔は、嘘偽りを持って私たちを崩そうとする。崩れないために、体の中心である腰に真理の帯 ベルトを締めるのだ。


自分の胸に手を当てるのは、正直に考えたり、忠誠を誓ったりするときだ。胸当ては正義である。


真理の帯と正義の胸当てを付けた私たちは、平和の福音を告げ知らせるために一歩踏み出す。だから、履物は平和である。



防御の武具は2つ。


1つは盾。ローマの重装歩兵は四角形の大きな盾、スクトゥムを持っていた。この盾を複数人で密集させ攻撃を防いだ。


私たちクリスチャンにとっての盾は、信仰である。信仰によって、悪魔の攻撃を防ぐ。


もう1つは兜。ローマ兵の兜には防具としての役割以外に、装飾や羽根が付いていることからも、自らの存在や役職をアピールする意味もあった。


映画などで、百人隊長の兜に派手な羽根が孔雀のように広がっているのを見るが、あれは自己顕示ではないかと思う。


ではクリスチャンの兜は何かと言えば、それは救いである。救われた者としていただく兜、兜というよりは冠を戴く方がイメージとしてはいい。


最後が攻撃の武具。


クリスチャンの最大の攻撃ツールは、聖書のみことばを置いて他にない。


荒野で悪魔の誘惑を受けられたイエスは、三度ともみことばをもって悪魔を退けた。同じように、私たちもまたみことばをもって勇敢に戦う。


神の武具を身に着けよう。