聖書と歩む営業マンのblog

営業は大変な仕事だ。しかし聖書を読んで、売ることよりも仕えること、貰うよりも与えることを学ぶと、心が晴れる。

祈りと賛美

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あなたがたの中に苦しんでいる人がいれば、その人は祈りなさい。喜んでいる人がいれば、その人は賛美しなさい。


ヤコブの手紙 5:13


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祈りと賛美。


どちらも欠かせないもの。


私は決して積極的に祈りを実践している者ではないが、それでも祈りが持つパワーを信じる。


苦しみの中にあるときは、特に祈らずにはいられない。


身体の痛み、心の痛み。苦しみは、大きなものから小さなものまでたくさんある。


小さな苦しみにはインスタントな祈りを、大きな苦しみには継続的な祈りをささげる。


私は偏頭痛持ちだから、頭がしくしく痛んでくると、癒しの祈りをささげる。


また、先だって痛風になってしまい、決して小さな痛みではなくて、だから痛みが去るように祈った。


心の痛みは、書ききれない...。仕事でもプライベートでもよくあるし、その大半は人間関係についてだったりする。


そうすると、祈りの種類は私ではない他者のためのとりなしの祈りとなる。


自分のための祈りと、他者のためのとりなしの祈り。どちらも大切。


けれど、とりなしの祈りは自分の心を浄化し、穏やかさを保たせてくれる。


他の誰かのために祈ること、いいものだ。



喜びのときに賛美する。


これは苦しみのときの祈りよりも容易く思えるかもしれない。


ところが、だ。


何かいいことがある、例えば、ずっと追いかけていた案件がようやく受注できたとき、なかなか話してくれなかったお客さんが心を開いてくれたとき。


そんなときは嬉しくて、もうぜんぶ自分の手柄みたいに勝ち誇って、祈ることなんてすっかり忘れてしまう。


喜びのときに感謝して祈ること、そして賛美すること。


意識してなければ忘れてしまうのだ。



この手紙を書いたヤコブは、イエスの弟で、イエスが生きているときはイエスの神性を受け入れられなかった。


しかし、イエスの十字架と復活を通して改心した。


そのヤコブが、苦しいときに祈り、喜びのときに賛美しようと奨励している。


日々の生活の中で、祈りや賛美は特別なものではなくて、もっと当たり前の普通のことでいいんだと思う。


苦しいからこそ祈り、乗り越えられない試練は与えられないことを教えられ、慰められ、そして癒される。


また、与えられた喜びは、独り占めするのではなく、感謝をもって賛美する。


信じなかったヤコブが、信じて祈り、信じて賛美したように、私たちも祈り、賛美する。


これが神に栄光を帰す、ということだ。