人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。
ルカによる福音書 6:31
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聖書の黄金律。
いや、聖書の、なんて制限するのではなく、人生の黄金律と言ってもいい。
イエスはパリサイ派との論争で「聖書の戒めで最も大切なものは何か?」と問われ、次の2つを挙げた。当然この時代はまだ新約聖書は存在していないから、旧約聖書からの引用になる。
1つは「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」と、神への愛を説いた。わたしと神との関係を第一に据える、ということ。
次に、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」と、隣人への愛を説いた。これは、わたしと他人との関係にフォーカスしたものだ。有名な、Love your neighbor as yourself、である。
この2種類の愛をこの世で実践していくことが、イエスが大切だと諭し、そして私たちに求めておられることである。
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隣人愛の実践において、基本的なルールとして掲げているのが、この聖句であると思ってよい。
言い方は異なるが、「自分がしてほしくないことは人にするもんじゃない」と、小さいころ父親によく言われたものだ。厳しい父親だったから、こうした戒めは子どもにとっては絶対的なルールのようなもので、生活を厳しく規定された。
一方、イエスの諭しはどうだ。
「人にしてもらいたいと思うことを人にもしなさい」だ。似て非なる表現だと思う。
してほしくないことはするな、と言うのと、してほしいことをせよ、と言うのでは、受け取る印象が全然違う。後者は戒めというよりも訓示に近い。
しかもイエスは、それが愛の実践なんだと説く。
前者に愛は感じないが、後者には隣人愛が流れているのだ。
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私は営業職だから、毎日たくさんの人に会う。
そのときに、この黄金律を実践することを心掛けている。
営業って、ともすると自社の商品を売りまくるイメージが強いかもしれない。そのために口八丁手八丁で相手を言いくるめる良からぬイメージがあるかもしれない。
しかし、もはやそのような営業は時代錯誤だろう。
たとえばクルマ屋に行って新車を眺めていたら営業員が近寄って来て、スペックだの価格だのを喋ってくるとき、イヤだなと思う。洋服屋で吊るしてある服を見ていると販売員が笑顔で近付き、素材やカラーバリエーションのことなど喋ってくるとき、面倒だなと思う。
営業は決してそれではいけない。
イエスの諭しは、人生訓として額縁に入れて飾っておくものではなく、日々の生活で実践すべきことであり、それは仕事においても適用できるのである。
自分がしてもらうと嬉しいと思うことを、人にもするようにしよう。