あなたも、あなたとともにいるこの民も、きっと疲れ果ててしまいます。このことは、あなたにとって荷が重すぎるからです。あなたはそれを一人ではできません。
出エジプト記 18:18
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リーダーって、オレについてこい!というジャンヌダルクみたいなイメージがある。
いや、あった。
けれど、サーバントリーダーを知って、チームで力を合わせて課題解決していくリーダーシップの存在を知って、そのイメージは崩れた。
論を待つまでもなく、これはまさにPM理論で説明がつくものであり、P=Performance(目標達成志向)の強弱と、M=Maintenance(維持調整志向)の強弱を縦軸横軸にしてマトリクスを作れば、リーダーの4つのタイプが出てくる。
理想とされるのが、ともに強い志向性を持つPM型、目標達成志向が強いPm型、維持管理志向が強いpM型、どちらも弱いpm型、となる。
個人的には違和感がなくはない(そもそもPとMの2軸だけて類型化していいのか? とか、PM型を理想化してしまっていいのか? とか…)が、リーダーシップという目に見えない現象をシンプルに切り分け、そこに理論を与えることが学術的アプローチなので、それはそれとして受け入れている。
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今日の聖句からリーダーの型の話を紐解いたわけだが、この聖句の場面と背景が分からなければ、何のことだかよくわからなくなってしまう。
この聖句で「あなた」と言われているのは出エジプトの中心人物であるモーセで、発言しているのはモーセの妻の父、つまり義父(ミディアン人の族長イテロ)である。
モーセは、我こそがイスラエルをエジプトの苦役から救い出すリーダーである! という強烈な自己認識と正義感があったから、Pが強い、明らかなPm型リーダーである。
それを否定するつもりはないし、Pm型リーダーだからこそ出エジプトは成し得たのだと思う。
しかしこの頃のモーセは、民の間で起こるほんの些細な揉めごとから大きな問題に至るまで、何から何まで引き受け、大岡越前のごとく裁いていた。
それを見た義父イテロが、モーセに言った言葉が今回の聖句である。
そして、イテロは具体的な策をモーセに授け、モーセはそれに素直に聞き従った。モーセは、このときを境にPmからPMに変容したのであった。
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このイテロという人物、聖書にはこの場面にしか登場しない、いわゆるレアキャラである。
それでもモーセのリーダーシップに大きな影響を与えたという点で、イテロは歴史に名を残したと思う。
イテロの忠告に従ったモーセは、自らのタスクを切り分けし、適切な人事をもって民を統治することに成功した。そこで空いた時間を本来のタスク、それは神と向き合うこと、に割くことができた。
イテロがモーセに与えた示唆は、新約聖書になると、イエスもまた与えていることに気づく。
ただし、イエスは単に示唆を与え忠告するにとどまらない。わたしのところに来なさいと、私たちを招き入れてくださるのだ。それがイエスであり、神なのである。
このイエスの招きは、誰に対しても示されている。イエスはいつでも招いてくださる。
その無限の愛に自らを委ねよう。
すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ11:28)