何かを、自分が成したことだと考える資格は、私たち自身にはありません。私たちの資格は神から与えられるものです。
コリント人への手紙 第二 3:5
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今日の聖句で「資格」と訳されているのは、英語ではcompetenceである。
competence=コンピタンス。経営戦略を学んでいると、よく「コア・コンピタンス」という言葉を聞く。モノの本によると…
他社に真似できない核となる能力。成功を生み出す能力であり、競争優位の源泉となる。
とある。
テキストには、シャープの液晶技術やソニーの小型化技術などが事例として挙げられている。平たく言えば「強み」である。
だから、聖書でも資格と訳すよりも、能力や適性と言った方が分かりやすいだろうし、文脈から言うと「強み」と訳してみるとしっくりくる。
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ビジネスの世界にいると、効率化や合理化は美徳であり、そのためにスキルアップが求められる。
自己啓発や自己研鑽は、リカレントとかリスキリングとかアンラーニングといったカタカナ語によって、なんとなく良きものとして捉えられ、なんとなくそうしなければならないものとして認識される。
なぜそうするのか?自問すると、スキルアップしたいからと答えるだろう。なぜスキルアップしたいのか?と問われたら、3期連続赤字の自社をなんとかして利益の出る体質にしたいからと答えるだろう。
では、なぜ自社を利益体質にしたいのか?と問われたら、経済的な豊かさのためと答えるだろう。いや、違う。連続赤字の会社に入社するのを躊躇し内定を辞退された経験があるからだろう。
コロナ禍のなか、希望に満ちて入社した新卒1年目、2年目の若手社員が安心して働ける会社にしたい。そんな気持ちもあるだろう。
いやいや、この会社に入社したときの恩に報いたいからだろう。リーマンショックで転職市場がいっきに冷え込んだ2008年夏、毎日汗だくで転職活動をしていた私を拾ってくれたその恩に。
1才の娘と、慣れない東京暮らしに不安を抱えていた妻と過ごした無職の半年間。あのときの辛さや惨めさは今も忘れられない。ゆえに転職が決まったときは喜びに満ち満ちたのだ。
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必死で働き、営業として結果を出し続け、現場のリーダーになり、課長になり、部長になった。
それは自己研鑽のおかげなのか?自分が頑張ったから手に入れることができたのか?スキルアップの結果なのか?
営業が上手くいかなかったとき、クレームや失注に落ち込んだとき、営業車の中で神に愚痴をこぼした。なんで?どうして?と神を疑った。
それにもかかわらず、神は私を用いてくださった。営業実績を上げられるよう養ってくださった。
商談でお客と心が通じたとき、感謝されたとき、大きな受注を獲得したとき、神に感謝したではないか。神さまありがとう!と神に祈ったではないか。
そうして私は自分なりの「強み」を手に入れた。
Our competence comes from God.
「強み」は神からくるものなのだ。それは自分なりの努力の結果、神が恵みとして与えるものなのだ。
今年1年の神の恵みに感謝しよう。