イエスは彼に言われた。「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、 知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」
マタイの福音書 22:37
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敬天愛人。
天を敬い人を愛す。クリスチャンがなんの前知識もなくこの言葉を知ったら、ほぼ間違いなくキリスト教的な四字熟語だと思うだろう 。
たしかにそれは正しい。しかし、これが幕末の英傑、西郷隆盛の言葉と知ったら驚くのではないか。
西郷どんはクリスチャンなのか?
クリスチャンかどうか、洗礼を受けたのかどうか、こうしたことは定かではないらしい。それでも文献を読むと、西郷が聖書に触れていたことは間違いのないことではあるし、実は洗礼を受けていたとか、聖書を教えていたとか言う証言もあるようだ。
そんな話が150年が経った今でもあること自体、西郷とキリスト教の深い関わりが事実であったと思わずにはおれない。
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出張で鹿児島に来たことで、土地がそうさせるのか、単なる個人的な興味なのか、幕末に俄然興味が湧いて、宿泊先のホテルで戊辰戦争や西南戦争について調べたり、動画を観たりしている。
たしか以前、会津に行ったときも、ちょうど「八重の桜」放映でブ ームだったこともあってか、幕末にタイムスリップしていたことを思い出す。単に自分が状況に流されやすい性質だからなのかもしれ ない。
会津と薩摩の今の関係はどうなのか。袂を分かったまま相容れない状態であるのか...。歴史を紐解けば、許しがたいこともあり、 以前のような関係に戻ることは難しいのかもしれない。
しかし、八重の兄である山本覚馬の構想に西郷が感銘を受けたというエピソードからも繋がりはあったことが分かるし、なんといっても八重も西郷もキリスト教信仰に触れているのであるから、「汝の敵を愛せよ」は心に刻んでいたはずである。
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西郷の言葉「敬天愛人」で言う「天」であるが、なんとなく日本人的には、見えざる偉大なる存在(力)のようにスピリチュアルに理解しようとするだろう。
だが、それは西郷の本意ではないはずだ。
この「天」は意思を持った存在として、私たち「人」を愛する方である。私たちが天を敬い人を愛するのは、天である神が私たちを愛していることが根底にある。
そして私たちもまた、無条件の神の愛に応答して、神を愛するのだ 。
その先に、人を愛すること、そして敵を愛することができるのだと思う。
1877年2月15日、西南戦争が勃発した日に鹿児島にて、幕末に想いを馳せる。