それどころか、あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、多くの雀よりも価値があるのです。
ルカの福音書 12:7
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不安や恐れってどこから来るのだろう。
1 on 1で部下から「不安です」と吐露され、いささか躊躇した。医者じゃないからその場で適切な処方箋など出せる訳がない。
傾聴スキルと言うと3つの段階があり、第1段階が相槌、次がオウム返し、第3段階が言い換えである。そして、最も難易度が高いのは、もちろん言い換えである。
言葉として表面化したことを言い換えてみる。
例えば、商談がうまくいかないと相談されたとする。質問力を駆使しながら相槌やオウム返しで事象の裏に潜む感情を知ろうとする。そして、オンライン商談で雑談することに不安を抱えていることを突き止めたとする。
オンラインで雑談するって難しいし、できないと不安だよね、と感情を汲み取り、適切に言い換えできるかもしれない。
結果や行動から感情を探り当てることは難しいけど、経験を積めばなんとかできる。
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しかし、その逆、表面化した言葉が感情そのものであると、ぐっと難易度が高まる。
その感情を巻き起こした原因はどんな行動なのだろうかと探っても、複合的だったり、本人も自覚していなかったりでなかなか困難である。
特に不安感情は、具体的な行動や結果が伴っているとは限らない。ただなんとなくざわざわするということだってある。
そもそも不安の原因ってなんだろう、とか。
ところで、自分が不安になるのはどんなときかと思い巡らす、身体の調子が悪いときが真っ先に浮かぶ。
睡眠不足だったり、偏頭痛がひどかったときなどは、心がざわついてなんとなく不安な気持ちになる。今年みたいに花粉症が酷いと不安を通り越して自分は大丈夫か?と恐れさえ感じる。
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上述の部下であるが、探り当てた不安の原因は「生活」であった。
持ち家がほしいがローンが組めないという経済的な理由から、家族との関わりが難しいといった対人関係、さらには仕事そのものに意義を感じないとか。
掘れば掘るほど出てきて、触れてはならないパンドラの箱を開けてしまったような後悔を覚えた。
聞いてしまった私が逆に不安になってしまうほどであった。自分は上司としてこの部下と向き合っていけるのだろうか…。
What would Jesus do?
イエスはそんな私たちを憐れみ、神がいかに素晴らしい方であるかを教えてくださる。
髪の毛の1本まで数えてくれるって、どんだけ自分のことを知ってくれているのか。いや、そもそも自分だって髪の毛が何本あるかなんて分からないではないか。
生活に不安があっても、対人関係に不安があっても、仕事に不安があっても(そんなのぜんぶあるよー!と叫びたいけど)、不安も恐れも全部神が引き受けてくださるのだ。
神さま、不安でつぶれそうです。助けてください、主よ。いまあなたの助けが必要です。そう祈ろう。
恐れなくていい、あなたは価値ある存在なのだから。そう言ってくださる方、信じるに値する。