わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたとともにおられるのだから。
ヨシュア記 1:9
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私たちクリスチャンには、この世の父と天の父がいる。
お祈りするときは必ず最初に「天の父なる神さま」や「天のお父さま」などと言ってから祈る。
愛そのものである神は、旧約聖書でヨシュアに告げたように、力を与える神でもある。
イスラエルの偉大な指導者モーセの後継者となったヨシュアは、もともと戦士であった。戦いにかけては勇猛果敢なヨシュアであったが、いざリーダーとしてイスラエル全体を率いるとなると、不安が大きかった。いや、不安ではなくとてつもなく大きな恐れだったはずだ。
そんなヨシュアに神は告げるのだ。
ヨシュア記の1章は、神のお告げから始まる。
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1章2節から9節までをそのまま抜粋する。なぜなら、この神からヨシュアへの言葉はヨシュアを力づけ勇気を与えるとともに、その端々に、神の愛が溢れ出ているからだ。
1-2 わたしのしもべモーセは死んだ。今あなたとこのすべての民はみな、立ってこのヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの子らに与えようとしている地に行け。
1-3 わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたが足の裏で踏む場所はことごとく、すでにあなたがたに与えている。
1-4 あなたがたの領土は荒野からあのレバノン、そしてあの大河ユーフラテス川まで、ヒッタイト人の全土、日の入る方の大海までとなる。
1-5 あなたの一生の間、だれ一人としてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。
1-6 強くあれ。雄々しくあれ。あなたはわたしが父祖たちに与えると誓った地を、この民に受け継がせなければならないからだ。
1-7 ただ強くあれ。雄々しくあれ。わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法のすべてを守り行うためである。これを離れて、右にも左にもそれてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたが栄えるためである。
1-8 このみおしえの書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさめ。そのうちに記されていることすべてを守り行うためである。そのとき、あなたは自分ですることで繁栄し、そのとき、あなたは栄えるからである。
1-9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたとともにおられるのだから。
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6節、7節、9節と繰り返し「強くあれ、雄々しくあれ」と、神はヨシュアに告げる。
このことから神は、ヨシュアが勇猛果敢で屈強な戦士だからリーダーに選んだのではないことが分かる。もともと強く雄々しい人に、そうありなさいなんて命じないだろう。ヨシュアが自分の弱さ、不安、恐れを認めたからこそ、神はヨシュアを召したのだ。
そして「あなたとともにいる」「あなたを見放さない」「あなた見捨てない」と、励まし、勇気を与えたのである。
先日、父の日だった。私たちは生まれてから、父の愛に包まれ、父の力に守られ、大きくなる。この世の父なくして、私の存在はない。当たり前だけど、こうして人の命が連綿と紡がれていくことに驚く。
この、人の命の連鎖を天の父はすべてご存じで、神の計画の中で私たちは生かされている。
この世の父に守られ励まされたように、天の父もまた、私たち1人ひとりを愛し、励まし、力と勇気をくれる。
そのことに感謝し、畏敬の念をもって、今日も「天のお父さま」と呼びかけ、祈ろう。