聖書と歩む営業マンのblog

営業は大変な仕事だ。しかし聖書を読んで、売ることよりも仕えること、貰うよりも与えることを学ぶと、心が晴れる。

ザカリアの預言

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主は私たちを敵の手から救い出し、恐れなく主に仕えるようにしてくださる。

ルカの福音書 1:74

…to rescue us from the hand of our enemies,and to enable us to serve him without fear.

Luke 1:74
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ルカ1章を読み終えた。

最後は祭司ザカリアの賛美(預言)で締め括られている。

1章の書き始めには「ユダヤの王ヘロデの時代にアビヤの組の者でザカリヤという名の祭司がいた(1:5)」とあるから、ザカリアに始まりザカリアに終わるのがルカ1章、ということになる。

ザカリアの話に挟まれているのが、マリアの受胎告知と賛歌であり、ザカリアの妻であるエリサベツを尋ねることであり、エリサベツの賛歌であり、バプテスマのヨハネが誕生したことである。

ヨハネが誕生すると「ザカリアの口が開かれ、舌が解かれ、ものが言えるようになって神をほめたたえた(ルカ1:64)」。

そしてザカリアによる神への賛美へと繋がる。

この構成と内容に、著者ルカの医者としての描写力や記述力が発揮されている。

明らかに記録として、歴史として残そうとする意思が感じられる。

「私たちの間で成し遂げられた事柄については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人たちが私たちに伝えたとおりのことを、多くの人がまとめて書き上げようとすでに試みています(1:1)」とあるように、ルカが福音書を書く以前に、すでに多くの人がイエスのことを記したり、話したりしていた。

ルカによれば「すべてのことを初めから綿密に調べて(1:3)」いるのだから、この福音書は時系列に沿って丁寧に描かれていると信じてよい。

1章にはイエスが誕生する前の話が記されている。いわゆる序章である。

しかし、序章にもかかわらず登場人物はみな重要だし、みな聖霊に満たされ賛美しているし、序章だからと軽んじることはまったくできない。むしろドラマチックな展開にすら思える。

この序章を経て、2章では、イエスが馬小屋で誕生する、クリスマス礼拝で子どもたちがページェント(演劇)でよく演じるあの場面に進んでいく。

ルカ1章を読み終えて心に残ったのは、最後のザカリアの預言で語られた今日の聖句であった。

…敵から救い出される。恐れを取り去られる。主に仕えさせてくださる。

恐れの感情はすべてが悪ではなく、神に対する正しい恐れ(畏れ)はあってよい。しかし、人に対する恐れはできればない方がいい。

けれど、私たちは人を恐れる。そればかりか、健康を恐れ、環境を恐れ、未来を恐れる。

ルカの福音書は、人を恐れ未来を恐れた弟子たちがイエスと出会い、人生を変えられるストーリーと見ることもできる。

私たちはそこに自らを重ねて、イエスと出会い、救われ、恐れを取り去られ、仕える人生を望む。

ルカの福音書は、復活のイエスが天に帰られた後の弟子たちの描写で幕を閉じる。

「彼ら(弟子たち)はイエスを礼拝した後、大きな喜びとともにエルサレムに帰り、いつも宮にいて神をほめたたえていた(ルカ24:52-53)」

喜びをもって主をほめたたえよう。